型の文化~一目羅不能得鳥得鳥羅者是一目~

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型の文化考察です。今回は三部構成となります。

型の文化~技法の多い事について~

型の文化~一目羅不能得鳥得鳥羅者是一目~

型の文化~『型』を信じ、かつ『型のみ』を信じない~

 

下記は前段です。

型の文化~技法の多い事について~


※冒頭途中から本題まではトリビアと申しますか、原典を探るというだけの話ですので、最初だけ読んで、本題まで飛ばして大丈夫な内容です。

■ 一目の羅は鳥を得ることあたわず 鳥を得る羅は是れ一目なり

「弘前藩の武芸文書を読む」に収録の浅利家所蔵伝書「宝蔵院十文字鑓許巻 二」に以下の文言があります。

一目羅不能得鳥 (一目の羅は鳥を得ることあたわず)
得鳥羅者是一目 (鳥を得る羅は是れ一目なり)

羅とは「あみ」と読みます。
網(あみ)の事です。
鳥を捕まえる投網や張り網(はりあみ)に、たった一つの目しか無ければ鳥を捕る事が出来るだろうか?
出来るわけが無い。
だが実際に鳥がかかるのは一つの目なのである。
そのような意味です。

網が大きすぎても上手く投げる事は出来ませんし、張り網も大きすぎても準備回収が大変ですから、限度がある事は自明の理ではありますが、ともかく技法の性質を能く表現した言葉だと思います。

張り網は柱の間に網を張り、鳥やウサギなどを捕る方法です。
いくつか種類があるらしいのですが、霞網(かすみあみ)は「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」の使用禁止猟具に指定されており、鳥獣の捕獲等の目的での所持・販売・頒布は原則として禁じられています。

この「一目羅不能得鳥」という内容は「弘前藩の武芸文書を読む」によりますと、同じく弘前藩に伝わる「本覚克己流」(ほんがくこっきりゅう)の「序・本覚克己流和・初巻」にも記されているようです。
実にナイスな喩え話ではないでしょうか。

ところが、これは元々武術で用いられたものではありません。
この伝書は慶安が終わった4年、1651年の発行ですが、これより以前に書に見られるものです。

※ここから本題からかけ離れるので飛ばして大丈夫なゾーンです。


・注好選

 

まず注好選(ちゅうこうせん)から見ていきます。

 童蒙教訓的な説話集。
3巻。1152年以前の成立。作者不詳。
上巻に中国の説話、中巻にインドの仏教説話、下巻には主に動物を素材とする説話を収める。
《今昔物語集》の〈震旦部〉との共通説話が多いことが注目され、《私聚百因縁集(しじゅひゃくいんねんしゅう)》の出典にもなっている。

kotobank > 注好選とは
http://kotobank.jp/word/%E6%B3%A8%E5%A5%BD%E9%81%B8

この中には「飛鳥は網の一目に係る 」(巻下)との説話がある言います。
(原文がネットでは見つける事が出来ませんでした)

いきなり1651年から一気に500年以上前、十二世紀まで遡ってしまいました。
江戸時代から平安末期(以前)。
もっともあくまで「1152年以前の成立」ですから或いはもっと以前のものかもしれません。

ですがこれは序の口です。


・往生要集

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次は往生要集(おうじょうようしゅう)にあります。

 比叡山中、横川(よかわ)の恵心院に隠遁していた源信が、寛和元年(985年)に、浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなる。

往生要集
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86

およそ「1152年以前」から一世紀半ちょっと、985年に遡ります。
平安末期から平安中期。
江戸時代からですと600年ちょっと戻る事になります。
では内容を見てみましょう。

大文第 五助念方法者 (大文第五に助念の方法とは)
一目之羅 不能得鳥 (一目の羅は鳥を得ることあたはず)
万術助観念成往生大事 (万術をもつて観念を助けて、 往生の大事を成ず)

冒頭の助念とは「念仏の助けとなる方法」という程の意味です。
そして例の網の話が登場します。
万術、つまり様々な教え、術、修行、総当りでもって往生を遂げる。
往生と言うと、現在はただ死ぬ事を指しますが、元々は大乗仏教の用語です。
現世を去って仏の浄土に生まれる事。
いわゆる極楽に行くという意味です。
本来、仏教における大眼目は悟りを得る事です。
インド思想である輪廻転生、つまり良い行いに励んで生きる、これは功徳を積むなどと呼ばれますが、そうしていると上のランクに生まれ変わり、悪い事をしていると業によって下のランクに生まれ変わる。
そうして最高のランクに生まれ変わると、その人生の中で悟りを得て、解脱、つまりその人生を終えるともう生まれ変わらないという、大雑把な解説ですが世界観です。
涅槃の世界に至ると考えられています。

そのために悟ろうと励む事になります。
古代インド社会から現代に至るまで、インド哲学の根源にあるのは四苦八苦の四苦、生老病死が示すように、人生とはそもそも苦(「思うにならない」という程の意味)であり、それ自体が、大雑把に表現しますと不幸そのものなのです。
そして往生とは要するに解脱と一緒で、成道、真理を得て仏陀(悟った人という程の意味)になって成し遂げられるものなのです。
すべての苦を捨て去る、つまり煩悩の火を消しまして、不幸から脱却しようという宿願です。

そうは申しましても、中々悟れるものでもありませんので、網目をたくさんで鳥を得るように、万術で観念を助ける、つまり修行するというのがこの文章の意味です。


・東大寺諷誦文

次は東大寺諷誦文(とうだいじふじゅもん)です。

東大寺諷誦文稿 (1976年) (勉誠社文庫〈12〉)

 東大寺由来とされる巻子本『華厳文義要決』1巻の紙背文書。
原本は無題で「東大寺諷誦文」「東大寺諷誦文稿」「昔世殖善之文」などの仮題が付けられている。
また、医学者佐藤達次郎の元にあった原本は第二次世界大戦で焼失し、複製のみが残されている。

編者は不明だが、東大寺の僧侶によって9世紀前半、遅くても天長年間までに記されたと推定されている。
漢字片仮名からなる仮名交じりの文章395行からなり、一部に朱書による返り点・ヲコト点が付されている。
一部に純粋な漢文のままの部分もある。
仏典や中国・インドの説話、特に孝養に関する説話が記されており、内容は首尾一貫していない。
法会の時の説教の際に用いられた諷誦文の原稿の断片と推定されている。
平安時代前期の日本語資料として貴重なものである。

東大寺諷誦文(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E8%AB%B7%E8%AA%A6%E6%96%87

天長年間とは824年から834年です。
あくまで「遅くとも」という事なのですが、今度は985年から100年ちょっと遡りました。
冒頭の江戸期伝書から計算しますと800年が経ってます。

さてどのように書いているのでしょうか?
これも原文はネットで見つけられなかったので引用となります。

一目ノ羅ハ鳥ヲ得ルニ能ハズ
鳥ヲ得ル羅ハ唯是レ一目ナリ
聖教ニ万差アレドモ
証ズル所ノ理ハ一ナリ
修行、多聞、得ル果ハ二无シ

冒頭は同様です。
聖教、つまり様々に正しいとされる教えには万差あれども、つまり無数にあるものだが、それぞれの証ずる所の理、つまり「明らかにする理(真理)」はひとつである。
修行し多くを聞いて、得る果てには、二つの真理は無い。

これはわかりにくいのですが、つまりいろんな宗教もあって宗派もあって、指導者もたくさんいて、それぞれにいろいろな事を言うけれども、それぞれ一見違う事を言っているようでも真理は一つなのである。
だからどれが良い悪いではなく、そういったたくさんの聖教があって、その中で一人の人を救うのは、一つの宗教だったり、一派であったり、一人の指導者なのだ。
という程の意味合いで使われているようです。


・最澄

さて次は最澄の文書です。
天台宗(正式には天台法華宗)の開祖ですが詳しく知りたい方はウィキペディアを読んで頂ければと思います。

最澄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E6%BE%84

延暦二十五年(806年)の上表文に次のように用いているとの事です。

沙門最澄言ふ。
最澄聞く、一目の羅は、鳥を得ること能はず。
一両の宗、何ぞ普ねく汲むに足らん。
徒に諸宗の名のみ有りて、忽ち業を伝ふるの人を絶す。

(「請続将絶諸宗更加法華宗表一首」、『天台法華宗年分縁起』、『叡山大師伝』、『顕戒論縁起』所収)

鳥はただ一目の網では捉えられないので、多くの網の目が必要である。
現在の諸宗だけで、なぜ人々を救うに足りるというのか。
既存宗派は名前ばかりで、そのせいで業を伝える人を絶やしてしまう。

ようするに天台宗を認めよという事になりましょうか。

東大寺諷誦文と時代はほぼ同じです。
東大寺諷誦文の成立年代によっては前後逆になるかもしれません。


・摩訶止観

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次は摩訶止観(まかしかん)です。
中国のものであり、中国では摩诃止观と書きます。

 仏教の論書の1つで、止観(禅定の1種)についての解説書。10巻。594年に中国荊州(現在の湖北省)玉泉寺で天台智顗によって講義され、弟子の章安灌頂によってまとめられた。天台三大部の1つ。

摩訶止観(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E8%A8%B6%E6%AD%A2%E8%A6%B3

一目之罗不能得鸟 (一目の羅は鳥を得ること能はざるも)
得鸟者罗之一目耳 (鳥を得るは一目の羅なるのみ)
众生心行各各不同 (衆生の心行はおのおの不同なり)
或多人同一心行 (あるいは多人が同一の心行なるあり)
或一人多种心行 (あるいは一人が多種の心行なるあり)
如为一人众多亦然 (一人のためにするごとく、衆多もまたしかり)
如为多人一人亦然 (多人のためにするごとく、一人もまたしかるなり)
须广施法网之目 (すべからく広く法の網の目を施して)
捕心行之鸟耳 (心行の鳥を捕うべきのみ)

(『摩訶止観』巻第五上)

対機説法という思想を述べております。
仏教には「人を見て法を説け」や「応病与薬」という言葉があります。
馬の耳には念仏より人参かもしれませんし、豚が雑食とは言え、真珠よりは食べられそうなものの方が良いでしょう。
風邪を引いている人に、痔の薬を渡しても仕方ありませんし、骨折している人に絆創膏を与えても仕方ありません。

衆生とは世界の苦しむ人々の事です。
民衆はそれぞれ個性がある。
多くの民衆に通用する部分があるけど、一人の中にもいろいろな心理がある。
一人のために行うように多くの民衆に働きかけ、多くの人に行うが如くに一人に働きかける。
そのようにして広く仏法の網の目を張り巡らす事で、民衆の心という鳥を捕らえなさい。

これが594年です。
これまた一気に時代が遡ってしまいました。
806年からだと200年ちょっと。
仏教としての教えで調べられたのはここまででです。
ですが、さらに大胆に時代は一気に加速するが如く、紀元前に至るのです。


・淮南子

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淮南子(えなんじ)です。

 前漢の武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年–紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的である。『淮南鴻烈』(わいなんこうれつ)ともいう。劉安・蘇非・李尚・伍被らが著作した。

10部21篇。『漢書』芸文志には「内二十一篇、外三十三篇」とあるが、「内二十一篇」しか伝わっていない。道家思想を中心に儒家・法家・陰陽家の思想を交えて書かれており、一般的には雑家の書に分類されている。

注釈には後漢の高誘『淮南鴻烈解』・許慎『淮南鴻烈間詁』がある。

紀元前179年~紀元前122年。
ここで700年以上遡ってしまいました。
最初の1651年から遡ると1800年程。
現代からですと2150年ほど遡ると思われます。

ではようやく現時点でわかっている起源の原文を見てみましょう。

有鳥將來 (鳥がまさに来たらんとするあれば)
張羅而待之 (羅を張りて之を待つも)
得鳥者 (鳥を得るのは)
羅之一目也 (羅の一目なり)
今為一目之羅 (今一目の羅為れば)
則無時得鳥矣 (則ち時として鳥を得ること無し)

(「淮南子」巻第十六、説山訓)

これは説明不要な程わかりやすいでしょう。
喩えがそのままです。
一つの有効な手立てがあっても、それだけで常に成功するわけではないという事なのです。

一目之羅 (一つの網目では)
不可以得為鳥 (鳥を捕まえる事は出来ない)
無餌之釣 (餌がない釣りでは)
不可以得魚 (魚をとれない)
遇士無禮 (士太夫に無礼があれば)
不可以得賢 (知恵を得る事は出来ない)
兔絲無根而生 (根なしかづらは根が無くても生える)
蛇無足而行 (蛇は足が無くとも進む事が出来る)
魚無耳而聽 (魚には耳が無いが聴こえる)
蟬無口而鳴 (蝉は口が無いが鳴く)
有然之者也 (しかるべくしてあるというものである)

(「淮南子」巻第十七、説林訓)

当たり前な事は当たり前という程の事でしょうか。

今はルアーがあるから、必ずしも餌は必要ありませんが、まあ疑似餌でも餌は餌でしょうか。

士太夫とは解釈が難しい表現になりますが、武官みたいなものでしょうか、ともかく無礼があれば優秀な人を逃すという程の意味で良いと思われます。
或いは「賢」だから、知恵を借りてもまともに手助けしてくれないという程の意味かもしれません。

根なしかづらは根無葛と書きます。
ヒルガオ科の一年生の寄生植物で山野にみられます。
茎は黄褐色、針金状の蔓(つる)で、他の植物にからみつき寄生根の吸盤から養分を吸収します。
葉は鱗片(りんぺん)状。夏、白い小花を穂状につけるのです。
種子は黒褐色の卵形で、漢方で菟糸子(としし)といい強壮薬に用います。
牛の素麺(うしのそうめん)とも言われますが、由来は調べましたが不明です。

魚の耳は外部に視えません。
いわゆる内耳、中身だけあるのです。
他にえらから尾の方にかけて点々でできた線があり、これは側線といって一部の音を聞き取るらしいです。

蝉(セミ)の口は管であり樹液を吸います。
鳴くのは腹腔内で振動させています。
まあ口はあるけど喉で出していないという程の意味で考えると良いでしょうか。
秒間2万回振動らしい…のですが本当でしょうか?


この鳥と網の関係の詩は「一目の網は以て鳥を得べからず」という諺として、実は使われるものなのですが、まったく耳にしないので、存在を識らない人の方が多いのではないでしょうか。
マイナーな諺の一つと言えます。
由来はそのまま上記の「淮南子」からです。

さて、無駄にトリビアを増やし続けてみました。

一つ言えるのは、日本の古流武術は伝書類の記述において、仏教の影響が非常に大きいという事です。
皆伝などのシステムもそもそもそのあたりから発しているという指摘もあります。

■ 本題

ここまでが永い永い前置きです。
ようやく本題に入ります。

 一目の羅は鳥を得ることあたわず 鳥を得る羅は是れ一目なり

石井先師曰く、「実戦で使える技は二つか三つ」との事です。
まあ網に捕らえるのとは厳密には異なるかと思いますが、概ね先代のおっしゃる通りだと思いますし、勝つきっかけというのは基本一手です。
古流武術の多くは小手や指など狙いますが、ともかく戦闘力を激減させてからの「トドメ」となります。
ベルセルクなど漫画のように、いきなりばらりずんと体を真っ二つにする…というのは、不意打ちならばまだしも、実際の斬り合いでそう行えるものではありません。

色々なカタや技を識るばかりの「型コレクター」、「技コレクター」になっても、実戦で遣えなければ意味がありませんし、多く識るために時間を費やせば、自ずとそれぞれの修練度は下がってしまうというのは自明の理です。

天心流も数年前まで、中村師家がまだ定年前で、お子様方を男手一人で養わなければならない事もあり、あまり定期的な稽古時間を作る事が出来ませんでした。
抜刀術の指導が中心で、剣術まではとても手が回りませんでした。
そもそも抜刀術も、そこまで多数の技法を修練する時間はありませんでしたが、剣術における刀法(技)はその比ではなく少ない数しか指導されませんでした。
中村師家は「技がそんなにあっても実戦では使えない」と仰っていたそうです。

その後中村師家は定年を迎えられ、お子様方も無事に成人を迎えられて、現在のように門戸を開き定期的に稽古場所を確保して稽古するようになりました。
昔と異なり、稽古時間が取れるため、多くの技法を指導されるようになりました。

実戦ですべてを使うかどうかとは別問題であり、技の数が多い事には、きちんとした理由があります。
その数々の技法がある理由の一つが、識らない事の恐ろしさ、「まさか」の危険性を軽減するためと先に述べました。

もう一つは個性です。
当然総ての技法を完璧に修得するのは時間的に如何に余裕があったとしても、中々容易な事ではありません。
ですが多くの技法を学ぶ事で、その中から、自分の十八番を見つけ出す事が出来ます。
同じように学んでも、使いやすい技、動きやすい技、得手不得手というのは必ず個々に生じるものです。
それこそ実戦で存分に発揮できる二~三個網の目を中心に、網を張るのです。
そういった得手を見つけ出すという意味があります。

逆に言うと、天心流は大きな網でもって、無数の網目、つまり技法を用意し、各々の個性を生かす可能性を提供しているのです。

※さらに続きます

型の文化~『型』を信じ、かつ『型のみ』を信じない~

 




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