天心流兵法とは

天心流兵法の由来

天心流兵法(てんしんりゅうひょうほう)は寛永年間、時沢弥平(※1)師によって創出された古流武術です。
流祖は幼少より後に徳川将軍家の剣術指南役、徳川幕府の総目付となる柳生宗矩公に仕え、柳生石舟斎師に新陰流を学びました。
流祖はその後も宗矩公の側に仕えて、影として護衛やさまざまな役務に携わりました。
役目を許されて後、宗矩公の意向を受け宗矩公が編み出した二百数十の技法を整理し独自の兵法を編み出して、これを天心流と名付けました。
これは単なる武芸の剣技としてではなく、徳川の世を影で支えるため、士林(武士の繋がり)にて用いられる上士(城士)の剣であり、異(い)なる流儀として誕生しました。

神君 徳川家康公により天下が統一されたとは言え、織豊(しよくほう)時代のように短期政権で終わる可能性もある中で、士林団は総目付 宗矩公の配下として、まだ盤石とは言えなかった江戸初期の柳営を護持するために活動し、天心流はその活動に必要な兵術として用いられました。

そうした働きの甲斐もあり、徳川家光公の時代に天下泰平の礎が築かれました。
そしてそれに伴い自ずと士林団の意義は薄れ、五代将軍 綱吉公の時代から規模が縮小され、八代将軍 吉宗公の時代に完全に解体となります。

その後、第二世とされる国富忠左衛門師(※2)は福本藩(※3)松平家に仕え、中国地方一帯に広めました。
士林団の解体により、天心流の流儀はその一部が世に出ることとなり、播磨国三日月藩(※4)の藩校・廣業館でも指導が行われていました。

※1 初代が時沢弥平兵衛。以降は代々弥平(彌平)を名乗る。流祖が何代目の弥平なのかは不明
※2 代々同名を名乗ったため、実際は何代目になるのかは不詳
※2 現在の兵庫県神崎郡神河町福本
※3 現在の兵庫県佐用郡佐用町三日月。別名・乃井野藩


天心流兵法の歴史

柳生宗矩公木造

伝書には遠祖として柳生家新陰流の祖 柳生石舟斎師、そして大和柳生藩の祖 柳生宗矩公、そのご子息で、大和国柳生藩第三代藩主 柳生宗冬公(伝書では心計斎)の名が併記されておりました。
(何故か柳生十兵衛師のお名前はありません。)

また天心流は新陰流分流ですが、技法の主軸は宗矩公が工夫によるとされ、実質的な流祖は宗矩公であると言い伝えられております。
当流伝書中では、宗矩公に関する事績を述べる際には「若」という表現が書かれており、宗矩公に長く仕えた時沢師よりの伝書の写しとして、その表現が守られたものです。
流祖時沢師は眼光鋭い小柄な御仁であった…と伝えられております。

石井家祖先である石井新右衛門は木村助九郎配下であり、士林組頭の一人でした。
石井家では士林団の解散後も流儀を伝えその命脈を保つこととなります。

柳生宗冬公肖像

幕末から昭和と数多の古流武術が失伝する中、石井家は三代に亘って天心流を伝えました。
応用として仕込杖の技法を外伝として加えますが、他総ての技法は江戸時代の伝書の記述をそのままに相伝を重ねます。

太平洋戦争後、第八世に当たる石井先師(※2)は既に齢八十となっておりましたが、若き日の中村青年が入門。
わずか数名居た門人の中、その厳しい指導と要求に応えた中村青年にすべての兵法を伝えました。
中村天心先生は石井先師の言葉に従い、自宅にて兵法塾を開き指導を開始すると共に、さらなる修業として日本各地を大道芸をしつつ巡り、各地の武術継承者と交流しました。
しかし早くに奥様を亡くされ、子育てと仕事の為、以降は限られた時間で縁故者のみへの指導となり、体系だった伝授は長く中断する事となります。
定年退職後、公共施設を使用して門戸を開放、広く門人を募り系統に従った相伝の指導を再開。
その後2012年には、中村師家より高弟の鍬海政雲に流儀を相伝印可が授けられ、2019年には鍬海師家より同じく中村師家の門弟であり古参の井手柳雪に相伝印可が授けられました。
現在は関東にて次代の伝承者を育成すると共に、失伝を防ぐ事の出来る強固な基盤を有する流儀として天心流を再興すべく活動しております。

※1 石井先師曰く「三代から四代だろう」との事
※2 実際は十世ないしは十一世と推測されるが、石井先師は「代々」を抜いた第八世を名乗っていた。以降もこれを踏襲し、中村天心師家は第九世、鍬海政雲師家は第十世としている

天心流兵法の特徴

天心流兵法は剣術、抜刀術、槍術、十文字槍術、薙刀術、鎖鎌術、柔術を含む兵法です。(※1)
武家の生活様式の中で使える武藝でなければならないため、往時より稽古に於いても常に小刀を帯び、立っては大小を帯びる二本指しを常態とする稀な流儀です。  また初学として殿中刀法鞘の中と称する、置刀より鞘の中に争いを治る心得と勢法を教えております。
「寝て、起きて、坐して、立って、歩み、走る」、人(士)の身の兵法心得と豊富な技法を現代に遺す稀有な流儀です。
打刀のみならず、胡坐から佩刀した太刀を抜刀する勢法も存在します。

※1 長物(槍術、十文字槍術、薙刀術)は宝蔵院分流陰派槍術

外物・併伝

天心流兵法では、殿中刀法鞘ノ中、坐法・立合の大刀・小太刀の抜刀術、また剣術を中心として、それ以外を外物と位置づけております。
外物・併伝の柔術・鎖鎌術・素槍術・十文字槍術・薙刀術などについては、修業の段階と修業者の希望に応じて教伝されます。
総合的な修業がなくては修得が不可能なため、外物など特定の技法のみを目的とした入門は受け入れておりません。

 

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