近年の武術界隈では達人、名人、本物論争が盛んです。
これは今に始まったことではないのですが、武術指導者などに、達人、名人、本物といった称号を用いることが散見されることへの批判が主だったものです。
中には自ら達人、名人、本物を自称している人もいる。
もちろん広報的な意味としては理解できなくもないが、そのように軽々しく用いてよい称号ではなく、まして自称でこれを用いるというのはあまりに武術を舐めているし、愚かしい!というような批判です。
もうあらゆる場面で私は書いているのですが、こうした場合にはそもそも字義を質すところから初めなければいけません。
これは前提を整える、武術でも形稽古においてもっとも大切なことです。
稽古のたびにレギュレーションを変更してしまうと、稽古として期待される最大の経験値を得られることは出来ず、動作としても神経としても混乱して返って退歩します。
でまず「達人」です。
これは少なくとも奈良時代にはすでに使われていたようです。
「但達人安レ排、君子無レ悶」と万葉集にあります。
それでは漢字の祖国たる中国ではどうでしょうか?一般には中国語では高手(Gāoshǒu)とされ、現代では达人(dárén)を当て字のように用いるとされるようですが、調べたところかなり古くから用いられていたようです。徐幹(じょかん。171年~217年中国後漢末期の政治家・思想家・文人)の中論の貴言で三度達人の語が用いられています。
夫俗士之牽達人也,猶鶉鳥之欺孺子也。鶉鳥之性善近人,飛不峻也,不速也,蹲蹲然似若將可獲也,卒至乎不可獲,是孺子之所以膝踠足而不以為弊也。俗士之與達人言也,受之雖不肯,拒之則無說;然而有贊焉,有和焉,若將可寤,卒至乎不可寤,是達人之所以乾唇竭聲而不舍也
これは武芸の達人という意味ではないですが、ともかく先例としては相当古い言葉のようです。
勉強になりました。
武芸の世界で、達人を一種の流儀内の称号として認定していたというのは聞いたことがありません。
もしかするとどこかでは行われていたのかもしれません。気になることころではありますが、それは悪魔の証明になるので、一般的には用いられていた事実はないと言えるでしょう。
達人は「広く道理に通達した人。学問・技芸に熟達した人。達者。」という程の意味です。
最初の「広く道理に通達した人」というのは、徐幹の中論で用いられた達人を意味すると言えるでしょう。
熟達、達者と言うのはかなり広義になるかと思います。
そして現代において、もっとも有名な達人と言えば?
そう、それは太鼓の達人です。
(『太鼓の達人』とは、バンダイナムコが開発した和太鼓を模した音楽リズムゲーム。プレイヤーは曲に合わせて、画面上の指示に従い太鼓を叩いて得点を競う。2001年にアーケードで登場し、家庭用やスマホアプリにも展開され、子どもから大人まで人気のシリーズとなっている。)
ゲームセンターでバチを握って画面を見ながら太鼓を打つ人と達人というと、些かイメージに食い違いを覚えるかもしれません。
が、太鼓の達人に限らず、他のDDR(ダンスダンスレボリューション)などの音ゲー、それに格ゲーもそうですし、FPSやTPSなどでもそうですが、私のような「触れたことがあるけど、全然出来ない、下手くそな素人」から見れば、完全に理解不能なレベルで妙技を繰り広げるプレイヤーは、達人と称賛されて然るべきものです。
武術、武道の界隈でも、玄人から見るとどうなのかは置いといて、少なくとも素人から見れば十分熟達、熟練している、達者だと感じればそれは達人の称号を得るに十分なのではないかと言えます。
続いて名人です。中国古典では名高い人、有名人という程の意味が基本のようです。
紀元前から用いられていたようです。ざっと調べたら宦者列傳(432年成立)ではすでに名士という程の意味で用いられています。
日本では二中歴(1210~1221) に名人(名人歴)と項が立てられています。
有名なところでは囲碁の名人位は江戸期には幕府から認められた称号だったようです。現代では囲碁の七大タイトル戦のひとつである「名人戦」のタイトル保持者を指します。
基準は難しいところですが、少なくとも現代では現役、ないしは元名人で無い限りは用いられない称号とされます。
将棋でも同様に、江戸時代初期に成立しています。なお、囲碁も将棋も初代本因坊の本因坊算砂が初代名人だそうです。囲碁、将棋の家元制度の祖でもあるそうです。
しかし古流武術の世界では特に名人というのは公に用いられた称号ではありません。
明治維新以降としては、旧大日本武徳会が名人位を認定していたようです。
また他団体でも名人位を認定している例があるようです。
しかし現代において、例えば日本武道協議会や日本古武道協会、日本古武道振興会などの主要団体は特に認定はしていないようです。
囲碁、将棋のような、業界において確固たる定義において用いられる称号がないと言える状況と考えられるため、一般的な用語の定義に準拠して用いて差し付けないと言えましょう。
現代の用語としては、「なんらかの技芸に優れた人物、評判の高い人物」という程の意味になります。
これもまた達人と同様です。
太鼓の達人に対抗して思いつくのは、お菓子好きであれば、越後製菓のふんわり名人でしょう。
基本中の基本であるきなこ味はもちろん、黒みつきなこ・キャラメル餅・チーズ餅・ごまだれ餅などがあります。さらに期間限定の味もあります。
もしくは私世代ですと高橋名人ですかね。
極めて希少性の高い称号としても、ある意味ではカジュアルな称号としても用いられており、親しまれている称号と言えるでしょう。
本物はまあ言うまでもないでしょうが、偽物と本物という程の意味だけでなく、これぞ逸品、素晴らしい、という程の意味でも用いられます。
武術、武道では捏造など問題としてありますが、そうした歴史的検証というより、単純に優れているという程度の意味で用いられているといえるでしょう。
問題は自称とされるものです。
ただ、大したことのない人が自称で達人、名人、本物を謳ったところで一笑に付されるだけでしょう。
界隈から見て誇大広告と見られても、正直腕前、業前の上下を簡単に論じきれない部分があるので、批判されることもあれば、その称号を周囲や時に世間も認めるという場合もあるでしょう。
称号がその界隈、ジャンルにおいて厳密に定義されているならば別ですが、これまで見てきたように、その定義がそれほど明瞭でなく、ハードルも低いという意味では、活用するのも広報の工夫と言えるでしょう。
もちろん批判するのも権利です。なんであのようなレベルで!と息巻く気持ちもわかります。
ですが、一般の方々から見ると、あんな程度の程度がどの程度なのかよくわかりません。
私から見れば、どっちも凄いけど、あんなのとは違う!と怒っている何らかのジャンルの達人、名人の方をたくさん見てきました。
「なるほどそういうものかぁ」とも思いますが、しかし同時に、褒めても怒られるのは難儀な世界だとも感じます。
武術界隈でも、貶して怒られるのは当たり前ですが、褒めたら褒めたで「上から目線だ!」「わかりもしない癖に!」「お前なんぞに何がわかる!」と怒られることが儘あります。
SNSなどで喧嘩しているのを見て、これだから「武術界隈に近づきたくない、距離を置いている」という意見をよく耳にするので、もう各流儀の先生を皆で名人、達人、本物と褒めそやすのが正解なのではないかと思います。
あっちは凄い、でもこっちも凄い、負けないように研鑽することで、ジャンルとして盛りたて、このマイナージャンルを他のメジャージャンルに負けない大きな波として、自他共栄、共存共栄の道を歩むのがもっとも大切なことではないでしょうか。
もちろん武術は武術、要諦としての武を乖離しては腑抜けとなってしまいますから、互いに角突き合わすような緊張感ある関係性も、大いに結構という気概は大切にしたいものです。
ですがやはり時代が違います。
現在、天心流では入門時に「暴力団排除に関する確約書」(いわゆる反社会的勢力排除条項)へのサインを必須としています。
これは武術流儀、団体、そしてその門人(指導者含む)が、国家社会の構成組織、構成員であることを鑑み、武術の持つ暴力性と危険性を十分に理解し、これを適切に抑制し、社会の福利と福祉に益する存在であり、また武徳を持って社会に規範を示す存在たらんということを期してのことです。
そして武徳とはただ稽古を通じて得られるものではなく、日々人々とのコミュニケーションを通して、往時の価値観である士道の問題点を鑑みつつ、これを当世風として有用な部分は存分に学び活かし、そして同時に現代社会においてあるべき姿を日々模索することで培われる珠玉として得られるものです。
楽しく、真剣に稽古に励む門人に、これを求めるのは些か窮屈ですが、例え活人剣を謳い、爭いを治める剣と言っても、そこには暴力性が確かに存在し、一般社会に対して恐怖、脅威を伝播するものと認定されれば、刀も武術も先はありません。
実際、アメリカ国内では武道、武術等の指導禁止の法案(S.3589「Preventing Private Paramilitary Activity Act of 2024」)が出されたと昨年大きな話題になっていました。
これは拡大解釈だとされ沈静化しましたが。
‘‘§ 2741. Definitions
‘‘In this chapter:
第2741条:定義
以下の用語を定義する:
‘‘(3) DANGEROUS WEAPON.—The term ‘dan11 gerous weapon’ has the meaning given the term in 12 section 930(g).
「(3)危険兵器.–『危険兵器』とは、第930条(g)に定義されている意味を有する。」
‘‘(9) PRIVATE PARAMILITARY ORGANIZATION.—
The term ‘private paramilitary organization’ means any group of 3 or more persons associating under a command structure for the purpose of functioning in public or training to function in public as a combat, combat support, law enforcement, or security serv19 ices unit.
私的準軍事組織(private paramilitary organization):
「(9)民間準軍事組織」
「民間準軍事組織」とは、戦闘部隊、戦闘支援部隊、法執行部隊、もしくは治安部隊として公的に活動する、または公的に活動するための訓練を行う目的で、指揮系統の下に結成された3人以上の集団をいう。
“The term ‘dangerous weapon’ means a weapon, device, instrument, material, or substance, animate or inanimate, that is used for, or is readily capable of, causing death or serious bodily injury, except that it does not include a pocket knife with a blade of less than 2½ inches in length.” 18 U.S.C. § 930
「『危険な武器』とは、生物または無生物を問わず、死または重傷を引き起こすために使用される、または容易に死または重傷を引き起こす可能性のある武器、装置、器具、材料、または物質を意味する。ただし、刃渡り2.5インチ未満のポケットナイフは含まれない。」18 U.S.C. §930
これは「公共の場で行う訓練」だけでなく、「公共の場での戦闘を目的とした訓練」も入ること、さらに言えば、 function in publicの定義もはっきりしません。
とここで文句を言っても仕方がないことですが、もはや世界は否応なくグローバリゼーションから逃れられず、異国の事情が日本にも飛び火する可能性もあります。
もちろん国内での問題は、より直接的に古武術の未来を閉ざすことになるでしょう。
逆に言えば、日本国内の情勢は、世界の武術に影響を及ぼす可能性もあります。
ある時、国外の門人が私に言いました。
「自分の国、周辺国では、武道家同士争ってばかりです。口汚く罵り、自分は本物で、ほかは偽物だと言っています。武道家として心を修めなければならないと私は考えています。こうした人々を日本の武道家が見たら絶望することでしょう」
と。
私は言いました。
「安心して下さい。日本でもまったく同じです。」
彼は理解できない様子でした。
「なぜ?私達が知るサムライは高潔です。悪口ばかり言うのはサムライの道ではないのではないでしょうか?理解できません。」
まあ武士も古来より言葉戦い(詞戦)、悪口(あっこう)などと呼ばれる舌戦も行われましたが。
しかし御成敗式目には悪口咎事もあるので、TPOに合わせて使いこなすのが悪口であり、コントロール出来ないのは恥です。私も反省しなければなりません。
百たび戦ひて百たび勝つとも、いまだ武勇の名を定めがたし。その故は、運に乗じてあたをくだく時、勇者にあらずといふ人なし。兵つき、矢きはまりて、つひに敵に降らず、死をやすくして後、始めて名をあらはすべき道なり。生けらむほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く禽獣に近きふるまひ、その家にあらずは、好みて益なきことなり。(徒然草)