■ 下緒とはなにか?
下緒は太刀緒の名残と言われております。
太刀を佩くために、太刀緒を腰に巻きつけておりました。
下緒はこれが残った姿だと言います。
太刀緒は佩緒(はきお)とも呼びます。
腰に吊るす佩き方は日本刀の原型とも言われる蕨手刀(わらびてとう)の時代にも見られたものです。
なぜこれが腰に吊るさず帯に指すスタイルとなった打刀にも残されたのかはよくわかりませんが、栗形に下緒が無いとなんとも寂しいものです。
ともかく通常ではただの飾りとしての下緒ですが、それでもただ栗形に通しておくのではなく、一種の様式美があり、さらにその裏に様々な意味を隠しております。
天心流兵法では下緒の長さは一畳(六尺程=およそ180cm)と伝えられます。
一般に下緒の長さは五尺とされておりますから、それより長いものになります。
下緒の長さに定めありという情報をネットで見かけますが、出典は定かではなく、今まで見た文献にそういった下緒の長さに関する記述があったようななかったような…なのですが、史料をひっくり返しても中々見つからず諦めました。
まあ武士の鍔の形や定寸についてなど、定めがあっても必ずしも厳密に守られるものでもなく、各々だったようですから、下緒に定めがあっても同じ事だったでしょう。
小太刀はこの半分ですので、三尺~四尺程となります。
長い理由は、単純な話で利便性が高いからです。
(後述)
■ 結束法
・大刀ー胡蝶結び
天心流の大刀は、基本的に胡蝶結び(こちょうむすび)を用います。
これは一般に蝶結びと称されるものとまったく同一です。
長さは鞘に巻きつける回数を増やして調節致します。
天心先生が胡蝶結びでは解けやすい事と、購入時に巻かれている大名結び(浪人結び)だと自分で解いて覚えられるだろうから(教えるのが面倒)などの理由で、便宜上大名結びを用いていました。
本式は胡蝶結びですので、今は出来るだけ胡蝶結びに直すように推奨しております。
ちなみに演武の際など、大名結びでも「間違えて解けたら恥だから!」との理由で目立たぬよう細い糸で下緒を結びつけて(また縫い付ける場合もあります)、解けないようにしたりもします。
これでは咄嗟の際に解けないので長年疑問に思っていました。これは後になって教えてもらったのですが、本来、細い用いて軽く留めており咄嗟の際には強く引くとこの糸が千切れて問題なく解くことが出来るようにするものです。
・大刀ー結束せぬ法
結束しない場合、下緒が引っかかったり、或いは引っ張られても栗形が取れぬように、まず鞘を一巻きします。
そして下緒の端の四寸~五寸程の所でひとつ結びにします。
後は鞘に絡げておきます。
下緒の先端が地面をすらないように注意します。
もし長いようなら栗形より鞘に巻きつける回数を増やします。
先代は、下緒を垂らして地面をこすると「雑巾がけするな!」と厳しく諌めたそうです。
まあ確かに往時に野外で下緒を引きずれば下緒が汚れてしまいます。
事が起こり、邪魔になりそうな時には、下緒を袴の脇開きの部分に差し入れて処置します。
また紙縒りなどない場合に、下緒を鍔越しに柄に巻きつけて、不抜の作法を示す場合もあります。
これは抜刀を戒めるという意味だけではなく、指料(さしりょう)への細工を防ぐという意味もあります。
紙縒りや刀袋の結束法でも同様なのですが、各々に工夫して独自性を持たせ、人が真似できないようにする事で、他者に弄られた場合にすぐ分かるという塩梅です。
・小太刀、小刀ー茗荷結び
これも下緒が引っかかったり、引っ張られたりして栗形が外れぬように、まず一巻き、ながければ二巻きとして、先を茗荷結び(みょうがむすび)にします。
天心流の茗荷結びは独特のもので、一回解くとそのまま栗形から外す事が出来る結束法となっております。
茗荷の形に似ている事から茗荷結びと呼ばれます。
扇坐となった際、この部分がやや地面に垂れる程度の長さとします。
これも長い場合は栗形より鞘に巻きつける回数を増やします。
■ 結束の理由
江戸期の図絵など視ますと、結束しているものはみかけません。
幕末の写真では結束している様子も珍しくないため、結束するスタイルは後代になってものという可能性もありますが、ともかく天心流では異なる教えが伝わっております。
先代は下緒はネクタイのようなものだと仰っていたそうです。
伝書、口伝に依ると、登城などの公務においてはしっかりと下緒を結束するのが正しい作法だとしております。
これは陣太刀において、太刀緒を結束するのが平時の作法という所から来ているようです。
太刀緒を結束する場合、即座に佩く事がないという事で、安太刀(やすめだち)と称し、腰から外した太刀緒を結束していない状態と、定義上異なったものとして扱います。
例えば他の城に使者として赴く際は、喩え門前までは太刀を佩いていても、腰より太刀緒を解けば、正式に太刀緒を結束して参ります。
古伝、つまり江戸期以前の法として、交渉などの場は太刀を左手に持ったままだったと言います。
坐した際には胡坐であり、左に太刀を置きます。
太刀を用いないという気持ちを示すため、太刀緒は結束し、また場合によっては紙縒りにて太刀を結束して抜けぬようにして、害意が無いことを示したとされ、これが時代が下がって「殿中刀法鞘ノ中」という、抜かずに制する技法となったものと伝えられております。
(古伝にはその下となった安太刀の技法があります。)
下緒を解くは乱れた場での事であり、上士は公の場では確りと作法を弁えなければならないとして、天心流では基本的に下緒を結束しております。
■ 下緒の用法
有名どころとしてははたすき掛けに用いるというものがあります。
ですがたすき掛けの場合は、長さが2m程無いと中々結びにくく、一畳だとギリギリです。
もちろんたすき掛けの為にあるわけではありませんから、使えれば良い程度で考え止めておくべきかもしれません。
血止めに用いる場合もあります。
また実戦でも打つ、絡めるなどの用法があります。
他に腰に巻いて着衣の乱れを防ぐなどの意味合いもあります。
背に担ぐ際にも用います。
他にも様々に用法はありますが、基本的には「切迫した状況下では必要になれば手元にあるものでどうにかしなければならない」という現実の要請によるものであり、極端言えば何にでも使えるものです。
ですから長めの下緒を用いて、様々な用途に用いられる「備え」としているのです。
他流では下緒を袴紐に束さんで刀の脱落を防ぐという用法を拝見します。
天心流では小太刀の場合(但し野外に限る)において用いる場合があります。
■ 天心流における「正しい」
以前、将几について「『将の位』について」という記事を書きました。
あくまでも「当流の教えに従う、当流における正しい用法」の解説なのですが、このブログをご覧になった他流の先生に反論された事があります。
また当流の床几を用いている写真をご覧になった戦国の研究者の方から、「床几の置き方を誤っている!」と指摘を受けた事も度々です。
下緒についても同様なのですが、あくまでも天心流における「正しい」であり、決してこれが武家当時の絶対的常識であった、唯一無二の正統であったと主張するわけではありません。
当流において伝わっておりますものをただご紹介させて頂いているもので、これと違うものは誤っているなどと、とんでもない主張をするつもりはまったく御座いません。
現状では、下緒の結束に関する絵図や故実書などの明確な定めがあったと見られる史料は見つけられておりません。
むしろ刀の受け渡しの記述では「刀と一緒に下緒をひとまとめにして持ち渡す」というように、下緒を結束していなかったと思われる記述は御座います。
今後も調査は続けますが、かといって文献にないものは存在しないという事ではありませんし、流儀の教えは流儀の教えですので、これを守る事を第一と考えております。