礼法について

礼法とは何か

―人間は社会的動物である

これは古代ギリシアの哲学者でありプラトンの弟子であったアリストテレスの言葉です。
人間は各々に独立した生命体ですが、集団として社会を形成しています。
ですから自己中心的な存在でありつつも、他者との共存のために社会性を育む必要がありました。

他者に配慮せず、誰もが自分の目先の利益のために動くような社会となってしまえば、誰もが懐疑的になり、良好な人間関係(則ち社会)を築く事は出来ません。
同時に「小さな親切大きなお世話」という言葉がありますように、相手の立場や気持ちを無視した、一方的で独善的な思いやりも人間関係を悪化させてしまいます。

 「礼法には何より心が伴わなければならず、形に拘ってはいけない。」

これは現代の礼法書を紐解きますと、必ずと言って良いほどに書かれている決まり文句です。
昨今では礼法や作法が「型」を喪い、精神性のみで語られるような風潮があります。

確かに思いやりや気遣いは人心の機微によって生じるべきものではあります。
ですが型を識らずにただ自由なだけでは混乱が生じてしまいますし、それでは型破りではなく型なしになってしまうのも世の常になります。

正誤を生み出す矩として、日本が古くから培い、育んだ「型」としての礼法・作法を顧みる事が、この混沌とした現代においては求められているように感じます。
私達は日々多様化する価値観に、動(やや)もすれば己の中の軸、精神的支柱を見失いがちです。

礼法という文化は、社会性を持った生物として、特定社会の中で誕生した共通の行動規範であり、人類がその文明の中で生み出し育んだ理智なのです。

ただのマニュアルではなく、形が整い心があらわれ、心が整い形にあらわれるものです。

無より形が生じ
形は心を求め
心は又形を求める

心の中に形あり
形の中に心あり

全ては 無に戻る也

天心流兵法道歌

乍ら動作について

武術では基本的には出来るだけながら動作を行う事で、敵に行動が読まれる事を防ぎます。
武術の技法は出来る限り並列的に行われるものがほとんどです。

 「刀に手を掛けると同時に跪坐となり、鯉口を切りつつ、片足出ながら、抜刀し切る」

このように一挙に無数の行動を内包して初めて技法として成立するのです。

 「刀に手を掛ける。跪坐となる。次に両膝立ちになる。鯉口を切る。片足を前に出して居合腰となる。抜刀する。切る。」

このように動作を区切れば、覚えるのも行うのも容易になりますが、それだけに細切れだらけで隙とタメで使い物にならない技になってしまいます。
意図的に動作を分割する事で、フェイントを用いるなどの用法もありますが、それはあくまでも応用になります。
実際には目の前の敵はこちらの動きを待ってくれませんから、拍子のある動きを嫌うのが武術です。

天心流では一挙動で行う事を「一拍」或いは「剱氣体一丸」等と称して重要視しております。
名称は違うかもしれませんが、他流や剣道などでも「一調子」や「気剣体の一致」等の呼び名が用いられておりますが、概ね同様の理論であると思われます。

しかし礼法の場合はむしろ逆となります。

乍ら動作を嫌う礼法

武家は武人ですから刀を常に携えております。
それは常在戦場の心得から来ている習慣であり風習ですが、平時において対者に警戒心や害意、敵愾心を示すような事があっては大変失礼にあたります。

ですから刀の置所、置き様、身のこなし、一挙手一投足に至るまで意識を配る必要があります。
この意識を配るという心得こそが、まさに気配りであり心配りと呼ばれる、礼法の土台と成る精神です。
そうは申しましても、都度都度状況に応じて変化するという事となれば、人によって受け止め方も異なりますから、如何に心を尽くしても却って無礼と感じる事も有り得ます。

そこで気配りの精神を体現化し、一定のルールを定めて共有化したのが武家礼法です。

武具を携帯する武家においては、一拍で行動する「ながら動作」というのは、行動が察知しにくく大変不快なものとなります。
左右あるいは後ろに追いた刀や、また腰に帯びた小太刀を瞬時に抜刀される事もあるかもしれません。
「李下に冠を正さず」という言葉がありますが、同じように礼法では警戒させるような「ながら動作」を原則的に禁忌としているのです。

茶道や食事作法など、いちいち両手を戻すなど、大変面倒な行為が多々ありますが、それもそういった心配りが根底にあるのです。

一見すれば合理性に欠いた動作にも、そのような真意が含まれているのです。
武術が人を殺傷せしめる危険な性質を内包しつつも、極まれば大変美しく、舞のような印象すらも与えるのとは逆に、心配りに端を発する折り目正しい礼法もまた、日本の生み出した美学です。

「現代に生きる礼法」から「現代に活かす礼法」へと

現代のおいては、このような作法をそのまま用いるのは、甚だ不合理極まりない、無用の長物のように感じます。
ですが日本の美的感覚を生み出しているのはこういった伝統文化であり、静かな所作の中に美を見出す日本的な価値観です。

身が美しいと書いて「躾」ですが、もちろんこれは身なりの美しさではありません。
所作、言葉遣いなどが醸し出す美しさです。

日本の礼法は、美と直結したものなのです。

現代の日本で用いられるマナーは、明治以降に小笠原礼法を土台として、西洋のマナーを取り入れたものが下地になっております。
これもまた大事なものではありますが、さらに振り返ればそこには武家社会が公家礼法を発展し生み出した、武士の美学があるのです。

そのままに現代社会で用いる事は少ないかもしれませんが、日本人が培った美学を振り返り、再考し、現代の礼法にフィードバックする事で、芯と土台を生み出す事が出来るのではないでしょうか。

天心流は武家の礼法を比較的多数伝承する流儀です。
武術は礼法を学ぶ事を目的としているものではありません。
ですが礼法を学ぶ機会が非常に少ない現代では、本旨ではないにせよその礼法という側面も、日本文化の継承という意味で重要な役割を担うのではないでしょうか。

私を含めまして門人一同、決して礼法の嗜みが褒められたものではありませんが、日々流儀に伝わる礼法と、また武家礼法を紐解き、修身に励んでおります。

やがては「現代に生きる礼法」「現代に活かす礼法」へと昇華出来る事を願っております。

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