瀉瓶(しゃびょう)

【くわみ まさくも】

瀉瓶(しゃびょう)という言葉があります。
写瓶とも書きます。

仏教において、瓶の水を移し替えるように、師匠から弟子に教えや奥義をすべて伝授するという程の意味です。
瀉は水を注ぐという意味で、写の場合は教えをそのまま写すようにというような意味にもとれます。

類似の表現では他に、血脈相承(けちみゃくそうじょう)という言葉もあります。
親から子に血が受け継がれるように、受け継いだ仏教の諸々すべてをそっくりそのまま次代に継承させるという程の意味です。

伝灯相承(でんとうそうしょう)という言葉もあり、これはロウソクからロウソクへと、法の灯火(火)を移していくという程の意味です。

瓶やロウソク、その身は変われども、同じ水、同じ火、同じ血を伝えていく。

伝統的な武術における伝授は、仏教文化の影響が色濃く見られると言われており、用語や儀式や思想など様々に共通点が見られます。
これは権威付け、そしてそれに伴い相伝伝授の重みを内外に理解させる意味を持ちますが、それだけ仏教文化が生活に根ざしていたということと共に、仏教と武術に見られる相似性も影響していると考えられます。

仏教ならば経典、武術ならば伝書というように、文字文化によっても伝授の強化・補佐するという文化を持ちますが、しかし、同時にすべての教えは不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉が仏教にあるように、真の教えは文字や言葉ではすべてを伝えられるものではないともされます。
不立文字 教外別伝(きょうげべつでん) 直指人心(じきしにんしん) 見性成仏(けんじょうじょうぶつ)

これは四聖句(しせいく)と呼ばれます。
文字や言葉では伝えられないもの、釈迦が示した言葉にはない教え、それは心の中にこそあり、心を見ればそこに悟りへの道標があるものである。(超訳)

心から心に伝えるという意味で以心伝心(いしんでんしん)という言葉がありますが、仏教でそれを伝える逸話を拈華微笑(ねんげみしょう)と呼びます。
釈迦が弟子たちの前に座したが何も語らず、無言でただ花を手折(たお)った。
弟子たちは何が何やらわからず、ポカーンとしていると、ただ一人、摩訶迦葉(まかかしょう)という弟子のみは、それを見て微笑んだ。
これをもって釈迦は摩訶迦葉に相伝したと伝えた。

これは偽経の大梵天王問仏決疑経(だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう)に見られる逸話ですが、仏教に限らず、人から人に何かを伝える時、目に見えざるものを通してしか伝わらないものがあるということを理解しなければいけません。

■ 天心先生について

天心先生の指導は、おそらく世界的に見てもトップレベルに難解です。
話し好きですが極度の話下手であり、サヴァン症候群的気質もあり、頭の中にある写像を伝えるのに言葉も文字もまったく追いつかず、強い印象を言葉や文字にして、薄まったところはまったく語らず記さないことがほとんどです。
そのため、書付を読んでも説明をされてもわからず、そして直伝で技を行ってもらっても、不定形でその時々で毎回動きが少し違ったりします。

ですからそのすべてを駆使して学び、さらに不足情報については徹底的に尋問、詰問し、動きの危ういところ、書付と異なる部分は繰り返し老体にムチを打って行わせて、揃えうる限りデータを揃えた上で稽古をし、天心先生が納得する動きと教えを揃えて体現することで、ようやく伝授が完了となります。

世界広しと言えども、弟子から叱責されながら詰問されて繰り返し技をやらされる道場は天心流以外に存在しないことでしょう。
もちろんこれを可能にするまで、相応の年月が必要でした。
信頼関係を構築し、頑固で恥をかきたくないと逃げまくった天心先生を囲い、逃げられないようにし、また気持ちが上向くようにあらゆる手練手管を弄した苦心の成果です。

よくここまで執拗に、常軌を逸したレベルで情熱を注ぎ結実させたと、半ば引き気味に評価をされますが、ひとえに天心流を可能な限りで良い状態にし、末永く流儀を伝えることが私の使命であり、また結果的に見れば、天心先生自身の幸福に繋がるからにほかなりません。

まあそれ以上に、そもそも一つのものに執着すると、絶対に引かないという私の生来の粘着性、異常性のおかげでもあります。
(先日はサイゼリヤの間違い探しを見つけるのに雑談はさみつつですが、四時間かけました。最後の一つを見つけるのに二時間)
天心先生は相当に奇人変人の類ですが、私自身も相当に苦労して擬態に成功していますが、同様火時にはそれを上回る奇人変人であり、同族だからこそ出来ることなのかもしれません。

しかしそれ以外にも、前述した仏教における不立文字、以心伝心の教えについて学んでいたことが実は大きいのではないかと思います。
つまり天心先生の文字や言葉をとても大切にしながら、同時にそれはすべてではなく、心と脳の中にある教えを受け取ることの重要性について、とても深く理解していました。
天心先生に問題があることを、いくら問題にしても基本的に状況は変わりません。
受け取る側の受信機を最大にして、アンテナを高く立てることが大切です。
天心先生から「君は一を聞いて千を知る」と評されたのは、私の能力が高いのではなく、そうした以心伝心の大切さを若い頃から学び、それを長年実践してきた成果にほかなりません。

最近ふと思ったのは、以心伝心という用語は知っていても、その逸話や重要性を知っている人がもしかして居ないのではなかろうかということです。
私の指導は言葉を尽くし、文章も尽くし、動画も尽くし、考えられるすべての方法で伝えます。そして繰り返し繰り返しそれを続けます。
ですが数年経ても同じ間違いを犯す人が少なからずいます。
経年学んでいても、まるで意図を理解できない人がとても多いです。
理解力の不足という問題もありますが、そもそもそうした不立文字、以心伝心という能力が人間には存在するということを知らないのではないでしょうか。

人間には可能性があると信じた人の能力は有意に向上するという研究がありましたが、そもそも存在を認識出来ていなければ、信じるもなにもありません。
私自身は、子供の頃に通っていた道場の壁に貼ってあった武者小路実篤の詩を、毎回繰り返し心の中で唱えていました。
こうした一種のアフォメーションが今も効いています。
(「できるについて」「アフォメーションについて」はまた次回記します。)

常により良い指導への挑戦を続けていきますが、同時に、門人のみなさんにはそうした受け取る努力を続けてもらう必要があります。
いつも言っているのですが、努力が一方通行になった時に、成果は半減します。
送信と受信、療法が整わなければなりません。一方のみが優れていても限界があるのです。

指導する側、伝える側は、常に自らの指導力や指導環境、伝える力の欠如を省みて改善、向上の努力を欠かさず、教わる側、受け手は絶えず自らの理解力の不足を自覚し自省し、学ぶ力を向上させる努力を怠らない。

この双方向性の努力を持てればその関係性は最強です。
すべてを尽くしても伝わらないことに歯がゆさを覚える毎日ですが、そのたびにこれは私の責任だと反省して自らを変革し、次に活かそうと心がけています。
人を変えるより、自分を変えるほうが生産的です。

■ 継承について

実は本題はここからです。

伝承、Folklore。
こうしたものは人から人に伝えられていくものです。
武術の場合は特に直伝が命であり、つまり水を受ける瓶、火を移すロウソク、衣鉢や血を受け継ぐ身があってこそ成立する文化です。
ただ外形のみをなぞるのであれば、確かに写真と動画と文字情報があれば事足ります。

しかしそれだけでは伝えきれないものがあるからこそ、面授面受(めんじゅめんじゅ)、つまり師から弟子に対面で直伝を授けることが絶対不可欠となるのです。

つまり受け皿を欠いた武術の教えは、文字や言葉に出来ないものすべてが欠損し、こぼれ落ちて抜けてしまうということにほかなりません。
そしてそこにこそ流儀の本質、奥義が存在します。
そしてその受け皿が多いほどに、その教えは広く正しく伝えられますし、例えそれが外形の変化があったとしても、本質を欠くことがないということです。

伝統の継承は、一種の伝言ゲームのようなもので、受け手が個性ある人の身である以上、どれだけ注意を払ってもまったく同じものにはなりえません。
しかし相伝印可や免許というのは、そうした個体差を超越して、その本質と真理を伝授出来たという証明にほかなりません。
現代では伝統文化保存の観点から当流では行いませんが、往時においてはそれゆえに当代にて工夫や変化させることはまったく問題の無いものでした。

なぜこのようなことを記したのかというと、ある団体が継承者不在のため解散するという報を受けたからです。
(武術団体ではありません)

天心流も2008年初頭、道場に通えていたのは二人でした。
私が加わってようやく三人。
天心先生が流儀の途絶を決意しかけていた時期です。
その後、日々衰える天心先生のやる気を鼓舞するために、やっきになって門人獲得に奔走し、消えかける炎を慎重に慎重に移し替えるように教えを受けました。
2011年、10年前の2月に天心先生から天心先生の所有する宝刀を相伝の内証として譲り受け、翌年2012年に正式に相伝を印可されました。
来年で相伝印可より10年。
まだまだ未熟ながら、修業と同時に、より次代のための受け皿となる多くの仲間を求めて、広報活動に尽力しています。
いかに優れた、素晴らしいものであっても、受け皿を逸した伝統は途絶します。

このコロナ禍は多くの伝統文化を直撃しました。
天心流にとっても大きな損害です。
しかし時代や社会のせいにしても状況は変わりません。
伝統保存のため、考えられるすべての術を用いて継承する。これが現代における天心流の兵法です。
つまりまとめると、もっと広報頑張ろうという話でした…。

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