「宗家」について

武術では宗家(そうけ)、宗主(そうしゅ)、家元(いえもと)、師家(しけ、或いは「しか」)、師範家(しはんけ)、範家(はんけ)、師範(しはん)など、様々な名称が用いられております。

一般の方々はもちろんの事、修業者であってもその違いについて非常に分かり難いものとなっております。
天心流兵法では本来、宗家の名乗りを用いません。
そもそも「宗家」とは、「芸道などで正統を伝えてきた家。またその当主」という程の意味合いです。
例えば天然理心流などはまさしく宗家制度の流儀になります。
継ぐ者が例えば他家の者だった場合、養子となって苗字を改めて近藤家も継ぎます。
竹内流なども宗家制度と聞きます。
心形刀流も伊庭家にて代々継承され、第10代の伊庭想太郎の投獄によって途絶えるまでは、宗家という用語を用いたかは不明ですが、実質的なな宗家制度と言えたかと思います。
これらは家伝として流儀を伝えていくという事です。
これは家元と称される事もありますが、江戸時代の流儀ではむしろ珍しかったとされております。

西山松之助著作集 第1巻 家元の研究
西山松之助著作集 第2巻 家元制の展開

家元制の展開(尾張)柳生家の新陰流は一見すると家伝と思われがちですが、尾張藩主に新陰流の道統を相伝し第四世、第六世、第七世、第九世、第十二世、第十五世、第一八世と尾張藩主が流儀を継いでおります。
もっともこれは尾張柳生家(と家伝としての新陰流)が尾張藩と両輪として永世に受け継がれるべく生まれた一種のシステムであり、実質上は尾張柳生家による宗家制度とも言えるかもしれません。
(事実、現在の新陰流を傳える柳生会では、宗家を名乗られております)宗家を名乗り、特に一人の子にのみ相伝を許すという形式を一子相伝とも称します。
北斗神拳伝承者ケンシロウはまさしくそれです。
この場合、決して一子が実子である必要はありません。
前に例を挙げた天然理心流宗家四代目にして、新撰組を率いて幕末を駆け抜けた近藤勇も養子でした。
※ちなみに一子相伝はその子供以外には指導しない…という意味でもありません。
宗家制度は必ずしも一子相伝というわけではありません。
「家」において伝承していくのが宗家制度です。宗主は宗家とほぼ同義と考えられます。
宗主とは本来は本家の長に対して用いられるものですが、家伝の技は多くの場合嫡子に継がれるものですので、宗主を用いる場合もあるようです。

天心流における称号

天心流兵法は特定の家において受け継がれてきた流儀ではありませんので宗家制度ではありません。
系譜を見ますと、二世の國富弥左衛門(撃剱叢談では忠左衛門)以降、長く國富家にて伝えられ、その後も石井家に三代伝わっていた時期もあります。
結果的にその家名において数代続く事があっても、それは絶対事項ではないという事です。
天心流では流儀の相伝者を師家、範家と称します。
師家とは本来禅において嗣法の師僧を指す用語です。
この嗣法というのもややこしい話で、法統を受け継ぐという程の意味合いなのですが、法統とは何かという説明になってしまいます。
わかりやすく噛み砕いて説明しますと、これはつまり仏教の祖である釈迦牟尼世尊、或いは禅の開祖である達磨大師、また各禅宗の祖とされる方々からの伝統と教えを正しく受け継いでいる…というのが嗣法(法統を受け継ぐ)という意味だそうです。
日本の古流武術は密教や禅宗の影響を大きく受けており、それは伝位免状や入門時における起請文などにも見られます。
師範家は学問や技芸の口伝・秘事を代々受け継いで皇室や幕府の師範となった家であり、範家はその略称のようです。
天心流は特に皇室、幕府の師範となったという記録はありませんが、口伝では相伝者は師家、範家と称するとされているのです。
ですが一般の方のみならず、他流の先生方でも師家や範家は耳慣れない言葉で、中々理解を得られず、中村師家も昔から随分難儀されてきたそうです。
少なくとも天心流においては道統(これは本来儒学の用語です)を受け継ぐという程の意味である師家、範家ですが、宗家と言えば厳密には嘘になってしまいますし、ただ師範ですと説明すれば道場の先生…という程の意味合いで受け取られてしまいますが、説明しますとこのように長大な内容となります。
明治以降、宗家という名称が武術流儀でも一般的に用いられる事が多くなった事から、天心流でも已む無く便宜上宗家と紹介する事が多くなっておりました。
私が入門した頃も宗家の称を用いており、私が「本来日本の古流武術の多くは宗家制度、ないしは宗家という呼称を用いていなかったのでは?」と質問した所、天心流では本来は師家、範家と称して宗家とは言わないと先代より口伝されてきたという事と、理解を得られない為に便宜上宗家を使ってきたと嬉々としてお話して下さいました。
今までそのような指摘を受けた事もなかったそうで、我が意を得たりとばかりに教えて頂きました。
天心流では免許や皆伝は能力に応じて与えられ、師範の称号は与えられますが、相伝者(師家、範家)は基本的に一代に一人です。
(師範は指導者の称号で広く用いられておりますし、耳慣れた言葉かと思います。)
一子相伝でなく唯授一人、一国一人というようなものに準ずるものです。宗家と申しますと通りが良いのですが、やはり家伝の武術ではありませんし、正しく言葉を用い、また伝承通りの呼び名を用いるという事で、数年前のサイト開設時には師家の称に戻しております。
師家、範家は天心流の兵法を相伝したというだけではなく、これを伝承し流儀をまとめる役を担います。
心技体のみならず流儀の存続を託される人物が継承するものです。
宗家がどういうものなのかはわかりませんが、少なくとも天心流における師家、範家は、流儀の私物化は許されるものではなく、正しく形骸化させる事無く、流儀を後世に伝承する役目を背負った厳しいものです。
公利公益(時代が時代であれば徳川の治世)の為に存ずるものであり、私利私欲のために流儀を用いるような事があらば、厳しい天罰が下るものと考え、滅私奉公の精神をもって御役目にあたるのです。かつては本来家伝でないもので宗家と名乗るのは間違いと知りつつも、師家や範家と称すれば、心ない方々から「古流にはそのよう(=師家、範家)な名称は無い」「インチキだ」などと批判される事もかつてあり、やむを得ずそのようにしていたそうです。
今ならば「ググレ」で済む事かもしれませんが、当時はそうもいかず、随分苦労されたと聞きます。
今は有難い事にこのように情報をネットにおいて広く伝える事が出来るようになりました。
中村師家もインターネットが誕生、まさかこのような時代が来るとは、夢にも思わなかったようです。
誤謬や誤解を排して、師家や範家という名称が周知されていけば幸甚な事と思っております。
最後になりますが、当記事はあくまでも天心流兵法における呼称を紹介差し上げる意図において投稿したものです。
宗家や家元といった名称を江戸期より用いていた流儀、江戸期以降に採り入れた流儀もあるかと存じますが、いずれに致しましても当記事ならびに当流におきましては、その事につきまして何ら異論反論を唱える意図は御座いません事をここに明言致します。

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