みんな大好きNISSINエース家紋ビスケット。
戦国大名の家紋22種が入ってます。
とても美味しいのでおすすめです。
さて以前から疑問に思っていたのですが、和菓子などに家紋が入れられるようになったのはいつ頃からなのか? 江戸期に果たしてあったのか? という疑問です。
現在見られる和菓子には、パッケージではなくお菓子そのものに家紋が用いられている物を見かけます。
しかし食するものそのものに、家紋を入れるというのは、江戸期から存在していたのでしょうか?
家紋は皆様御存知の通り、日本特有の文化で、紋付、刀装具、瓦やお墓と様々な場所に入れられるものであり、家の象徴として大切にされてきました。
その種類は一説には二万を超えるとも言われます。
また、「畳の縁(へり)は踏んではいけない」という作法の理由の一つとして、畳縁には家紋があしらわれることがあり、家紋を踏みつけることを戒めたと言われます。
踏まれるようなところに家紋置くな!とちょっと思います。
(踏まなくてもまたがれますし)
余談
他に「畳縁を踏んではいけない理由」とされるものには境界線を踏まないというものがあります。
境界線、あらゆるものの繋ぎ目というのは、脆く、綻びやすく、危ういものです。
「敷居を踏んではいけない」という作法も同様でしょう。
物理的にゆがみやすく、扱いには気をつけなければなりません。
また「季節の変わり目に気をつけなさい」などと、心身両面における戒めとしても存在します。
こうした感性が日本文化に見られる様々な所作、作法の源泉の一つとして考えられます。
他には畳の縁に刃物を仕込まれるからという理由もよく耳にします。
そんなピンポイントで!?と不思議に思われる理由です。
茶道や儀式などでは、その歩みの経路も定められることもありますから、そうした場合の心得なのかもしれません。
他には「床下から隙間を狙って槍、刀を突きこまれる」というものがあります。
これは流石にタイミングが難しいように思えます。
基本的に、畳の部屋では「畳縁に座らない」という作法がありますが、隙間から突かれるというのはこの作法の理由の流用のように思えます。
他にはつま先を引っかかることがあったりするなども言われます。
こうした伝統的な所作や作法には、感覚的のもあり、必ずしも合理的で明瞭な説明があるものではなく、由来が判然としない場合も多々なります。
しかし大切なのは、それを守ってみることで生まれる自らの規範であり、守ってみもせず由来や理由を問い詰めて、かき乱すことではありません。
和菓子について
さて、余談が長くなりました。
畳縁ひとつについても、長く継承されてきたものの陰には、多くのものを内包します。
よく天心流についても簡潔にと言われますが、それは容易いことではありません。
同様に和菓子もとても深い文化です。
餅は餅屋ならぬ、菓子は菓子屋というもので、下記のような文献がありました。
江戸期の菓子に家紋意匠は使われていたのか問題。
情報が集まりましたらまたお知らせ致します。
武術とは直接的には関係ないかもしれませんが、「文化は周辺文化を含めて保存することで、その命脈をよりよく保ち得る」というのを天心流の理念としています。
というか単純に気になります。
さてこの著者の中山 圭子さんは500年近い歴史をもつ和菓子屋である天下の虎屋さんの取締役です。
この虎屋は昭和48年 (1973)に「菓子資料室 虎屋文庫」を創設され、日本の菓子伝統の保存を行っています。
和菓子関連の研究論文や史料翻刻を中心とした学術雑誌です。(年1回発行)