指南所と稽古場について

道場という名称について

現在では武術・武道を稽古する場所を「道場」と呼ぶのが一般的ですが、実はその呼び名が広まったのは明治以降の事だそうです。

そもそも道場とは本来は仏教用語であり、サンスクリットの「Bodhimandala」を漢訳した「仏陀が悟った場所」を意味する言葉です。
それが転じて仏教における修行の場を指す言葉として使われるようになったのだとか。

明治維新以前の日本の武藝における精神修養とは、あくまでも「武士(※武士階級以外も学びましたが)が生死の狭間において、如何に精神をコントロールし技藝を十分に発揮するか」という眼目の元に求められたものです。

士(或いは人)としてのあり方は、あくまでも朱子学などによって編み出された士道の範疇において説かれ、学ぶべきものとされておりました。

江戸期にも武術の徳育的側面を求める動きは一部にあったようですが、やはり徹底的な転換期は明治維新によります。
講道館創設者であり教育者でもありました嘉納治五郎師範は、廃れ行く日本の伝統武藝、特に複数の柔術流派を整理再編する事で保存し、近代化に向けてひた走る近代体育教育の支柱として柔道確立されました。
この偉大なエポックメイキングは柔術から柔道への転換のみに留まりませんでした。
大日本武徳会が誕生し、剣術(或いは撃剣)は剣道へ、弓術は弓道へと改称し、武術、武藝は武道と統一して称されるようになりました。

これによって、伝統的な武藝を下地としつつ、修練・試合を通じて「人格の完成」を目指す、体育と徳育を兼ね備えた道として近代日本に即した「武道」が誕生したのです。

この流れに呼応するように、江戸期までは稽古場、演武場、撃剣場、指南所、武館などと呼ばれていた稽古の場も、人格完成の道を求め養うのに相応しい「道場」の名が好まれて用いられるようになって現代に至ります。

看板

石井先師は天心流の伝承を非常に大事にされた方であり、「教わった通りに教える」というのを口癖のようにしておられたそうです。
伝承とは技法のみならず、流儀で用いる語句も含まれます。

中村師家も伝承を重視し、流儀の用語はそのままの意味、そのままの言葉として現在も用いております。

本来仏教用語でありました道場が、武道の稽古場所としての意味合いに変化した事も含めて、石井先師は伝えており、天心流では現在も道場の名称を基本的には用いておりません。

この写真は天心流兵法の看板になります。
現在の所、残念ながら専用の指南所はありませんので、これは師家宅に置いてありますが、この看板は石井先師の意匠を受けて作られた物です。

塾という語を用いた意図はわかりませんが、道場でも稽古場でもなく指南所という所に、石井先師のお気持ち、そして天心流の特色が表れており、またそれを中村師家がそのままに受け継がれました。

普段は稽古場などとも称しておりますが、本来そこは稽古の場ではなく、あくまでも指南所なのです。
稽古は各々で行うものであって、指南所はあくまでも武芸を伝える場所なのです。

見盗り稽古

諸流に「盗んで覚えろ」という言葉がありますが、天心流ではこれに「見盗り稽古」という用語を用いて、ことさらに自学自習自得の精神を重んじております。

一般には「見取り稽古」と書きましていわゆる見学、観察して稽古するという程の意味で広く用いられております。
天心流では常に見盗る真剣さを求めるため、このような漢字が用いられてきたのです。

ややもすれば、見取り稽古はただ師匠や兄弟子の動きをただ見るだけの、「見蕩れ稽古」(みとれけいこ)となってしまいがちです。
観賞者ではなく、修業者である以上、その罠に陥ってはいけません。
他流の演武など拝見する際にも、その心づもりで拝見するのです。

昨今では「技を盗む」という言葉を、窃盗行為と結びつけて卑しい忌むべき語として避ける傾向があるようです。
ですがこの言葉は弟子自身が自戒とすべきものであり、心の備えを伝える大事な言葉です。
教えてもらう…という受け身な態度では、技藝は己のものとはなりません。

他人の褌で相撲を取ると申しますが、教えてもらった技は人の褌のようなものです。
手ずから工夫し、自らの技を各々が磨き上げなければ、本当に仕える武術は身につきません。

武家の武術は士(さむらい)がその御役目のために学んだものであり、それは身命を賭した男の道であり、修めるも修めぬも己の内の事であり、指導法の是非など介在するものではありませんでした。
指導法を工夫するのは師の務めであり、弟子はそれに唯々諾々としてついていくのです。

三莫迦の教え

三度教わって出来ない奴は莫迦だ」というのが石井先師の口癖だったそうです。
もちろんこの三回というのは一度に教わっての三回ではありません。

まず一度目の教授で技の手順など覚えます。
そして次の指導を受けるまでに徹底してそれを修練します。

二度目の教授では手直しになります。
この時点で既に十分動きには慣れてる状態ですが、覚え間違いや動きの悪い部分がありますからそういった部分を指摘されます。

そして三度目の教授です。
これはもう完成に近い状態です。
もはや教わらずとも自主稽古が十分に出来る状態にしておけという事です。

これは教授の完成であって、技の完成ではないのです。
もはや後は自得して妙境に至るべしという段階になります。
また応用変化を修練し、自在の妙境を目指すのです。

もちろんこれはあくまでも理想であり、また心構えのようなものです。
現代はもちろん、喩え江戸時代でありましても、実際にそこまで求めるのは難しいものだった事でしょう。
本当に厳しく「三度教えて出来ないなら破門だ!」などやっていたら、門人が居なくなってしまいます。

あくまでもそういう姿勢、心構えを備えるための教えです。
そういった備えの無い弟子を「三莫迦」と称しまして、これらは「三莫迦の教え」と申します。

現在の稽古

現在の天心流ではこの心構えを大切には致しますし、実際に門人がそれぞれに「可能な範囲」で自主稽古を推奨しておりますが、往時の武士のそれと同等の努力を望んでは、生活が成り立ちません。
武士の世は終わりを告げており、重い御役目ではなく、それぞれの想いによって門を叩いたのですから、「指南だけで稽古は各々に委ねる」という教授法だけでは、到底技を伝えられるものではありませんし、またそれでは門人が上達せず、嫌気がさしてやめてしまいかねません。

門人に媚を売るわけではありませんが、 伝承を大事にしすぎて、あまりに時代離れしてしまえば、やはり門人が居なくなり流儀は失伝してしまいます。
ですから数年前より、スポーツセンターや武道館をお借りした際には、あくまでも「稽古場」としてお借りし、指南とともに稽古を行う時間としております。

ただ現状に即して柔軟に対応するものの、代々の伝承を「盗んで覚えろ」等のように、「語感が悪いから」というような理由で打捨てる事は、天心流におきましては許容出来ません。
往時の武士そのままに体現する事は出来なくとも、その精神性を伝える努力を惜しむ事は致しません。
恐らくは往時の武士も個人差があり、だからこそ戒めとして口伝の戒めが受け継がれてきたのです。

往時の指南の場では、質問なども推奨されるものではありませんでしたし、「稽古では歯を見せるな」等の教えも御座いました。
これも現代では随分変わりまして、あくまで稽古なので質問も受け答え致しむしろ推奨しております。
また油断(「気抜け」と呼びます)すれば事故の元ですから、真剣に行う事を大事としておりますが、同時に現在では楽しく稽古する事を良しとしております。

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