武術と体育会系

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武道・武術の体育会系なイメージ

武道・格闘技などの一般的なイメージは、俗にいう体育会系という言葉に象徴される厳しいものがあるようです。
数年前、大学空手部の練習中に指導方針の行き違いから、高齢者のOBに平手打ちを受けたを空手部主将が頭部を蹴り返してしまい、結果OBの方が亡くなってしまうという、痛ましい事件がありました。
事件そのものについては、背景を存じませんので安易に語る事は出来ませんが、昔は体罰が武道などで公然と行われており、特に大学の体育会系の部では「四年は神様、三年は貴族、二年は平民、一年は奴隷」というような縦社会がありました。
未だそういった風潮を残す所もあるようです。

相撲部屋でも痛ましい事件によって問題化したのも記憶に新しい所です。

そもそも武道・武術が体育会系と称されるしごき、体罰が常態化、許容されるように成ったのはそう古い事ではないようです。
特に明治以降の軍隊の中で行われていたシゴキ、体罰、いじめの類が、そのまま体育会系という風潮として残ったものであり、決して伝統的な指導ではないようです。

新陰流の流祖上泉信綱師が柳生石舟斎師の尻を袋竹刀でバンバン叩きながら、「やる気あんのかテメェ…奥歯ガタガタ言わすぞ!」と言ったはずがありません。
また居合術の中興の祖とされる林崎甚助師が田宮重正師にビンタを飛ばして「そんな抜刀じゃハエが止まるって言ってんだろう!肥溜めに落とすぞ!分かったか、ウジ虫!」「サーイエッサー!」というようなやりとりがあったとも思えません。

むろん、そうしたしごきがスタンダードではなかったものの、昔から存在はしていたようです。
例えば江戸時代初期に新田宮流を開いた和田平助師という居合の達人の逸話があります。


子金五郎亦撃劍ヲ善ス、正勝之ヲ敎ユル極メテ嚴ナリ、其夜歸ヲ伺テ闇中ヨリ之ヲ打チ、或ハ其熟睡ヲ伺テ急ニ呼起ス、然レトモ金五郎常ニ心ヲ用ヒテ父ノ爲ニ毆レズ、一日多賀盛政ト相敵ス、盛政毆ツコト能ハヌ、正勝酒ヲ酌テ盛政ニ授ク、盛政受テ之ヲ飲ミ、忽チ磁器ヲ擲テ金五郎ニ中ントス、金五郎刀ヲ以テ之ヲ捍テ中ラザルコトヲ得タリ、一座其精妙ヲ歎ズ、好テ長刀ヲ佩ヒ、甞テ蜻ノ亂飛スルヲ見テ、刄ヲ揮テ之ヲ斫ル、皆碎裂ヲ斷レヌ、是ヨリ復長刀ヲ佩ズ、正勝之ニ遇スル益嚴酷ニシテ、復人理ナシ、金五郎之ヲ憂ヒ、疾ヲ發シテ死ス、(名越政敏筆記)

新編常陸国誌. 下 815p~816p「和田正勝」の項より抜粋


その息子、金五郎直勝も幼少期から苛烈な指導を受けたようで、日々急襲する父の攻撃を防ぎ、また突然投げつけられ盃を刀で防ぐほどの達人であったようですが、日々厳酷さを増す指導に耐えかねて病を得て二十一歳で夭折したと言うのです。
細かい文献が残っているわけではないのですが、そのように書くというのは、一種の狂死なのかストレス性で脳溢血になってのか…。

現代戦ではハートマン軍曹のような軍隊教育が必要なのかもしれません。
また江戸期の武芸にもそういった体育会系気質もあったのかもしれませんが、少なくとも当伝系におけます天心流にとっては無縁なものです。


 さてキンチョーの入門初日。道場に入るやいなや髪をワシづかみにされ、膝ゲリ3発。
うずくまったところを背後から金的蹴り、血と涙ともらした小便の海でのたうちまわる僕の顔面といわずボディといわず足刀の嵐、貫手の地獄。
ああ、やっぱり俺の考えは甘ちゃんだったっ!!

……というのはもちろんウソです。

様々な道場経営者の方に伺ったところ、この現代にそんなスゲーところがあったら、すぐに裁判となって道場は潰れちゃうだろう、とのことです。


「直撃!強くなりたい道!!―こんな経験、ボク初めてなんです」より

これは筋肉少女帯のボーカル大槻ケンヂさんの著作の冒頭です。
ノイローゼのため心療内科の先生からオカルトをドクターストップされてしまった大槻さんが、格闘技に目覚め、空手道場に通う…という話です。
流石に極端な描写ですが、「上下関係は絶対で、言葉遣いに厳しく、新人は命令に服従で口答えは許されず、パシられ金も出して貰えない。稽古もスパルタで厳しく、稽古中に水を飲むと叩かれ、動きが悪いと殴られ、稽古後は歩く事もままならず地べたに這いつくばる。」というような体育会系然としたイメージが少なからずあるようです。

大槻さんが書いているように、少なくとも現代においてはそのような道場はまずないと思います。
もちろん猛稽古で動けなくなる…というような事はありましょうが、体罰やいじめ、稽古にならないシゴキで強くなれるとは古流の伝書のどこを探しても書いておりません。

「アットホームで皆仲良く稽古しています!」

と書くと何か求人広告のようですが、実際そのような雰囲気です。
また以前取材で訪れた作家さんから「大学の研究室のようだ」と感想を頂きましたが、言い得て妙な表現かもしれません。

 そもそも武術の流儀に入門するのは、その入門者(武士)自身の修業のためであって、決して流儀の為に入門するわけではありません。
もちろん修業によって、自流に愛着心が湧き、また師範代などともなれば役相応の責務も生じますが、決して流儀のため都合の良い、命令に従順な門人を生むのが流儀の目的ではないのです。

そもそも天心先生の先代の頃より数年前までは、入門者は縁故者に限られておりました。
必然的に少数となり、そこには特に厳しい上下関係などそもそも必要ありませんでした。
数少ない門人をわが子のように思い、指導しておりました。
(実際、お子様も修業されておりましたが)

武術の指導は厳しく行いますが、武術から離れれば思いやりと愛情に満ちた先生です。
(遅刻や忘れ物にはうるさいですが)
稽古の中での武家礼法には厳しいのですが、稽古から離れると、常時無礼講というような方なのです。

ある年に天心先生の御自宅で開催された忘年会も、こちらで用意しますと何度も念を押しましたが、準備の為に早く行った所、既にお酒からジュース、お刺身からツマミまで、中村師家ご自身が用意がされており、ほとんどする事がありませんでした。
中村師家にとっては、失伝も已む無しと半ば諦めていた流儀に、多く(その日は全部で12人)の門人が集まってくれるだけでも有り難くて涙が出る程嬉しい事なのです。

流儀によっては、いわゆる御宗家様からは直接技を受けたり、指導を受ける事はまず無く、それどころか直接お話する事もめったに出来ないというような所もあります。
門人数が多いと、必然的にそうなりやすいようですが、そこまでの大組織でなくても耳にする話です。

ただ稽古の中身に関しては、激しく厳しい先生でもあります。
これは天心流のバックボーンとして、謂わば現代の特殊部隊のための流儀であったということを考えれば当然とも言えるでしょう。
先代の石井先生も指導に関してはとても厳しかったようです。(それはあまりに天心先生が悪ガキだったという側面が強かったせいだと思いますが)

今でも流儀内では安全に関してはかなり厳しく指導します。
しかし年々より稽古においても時代に即した形としています。
往年のような厳しい指導というのも残すべきとは考えていますが、間違いや悪い点を少し厳しく指摘されただけでも、モチベーションを下げるという昨今の風潮の中では、やはり間違っているから厳しく諭すという方法は通用しなくなっています。
もちろん優しく諭したところで直らないのですが、上達より気分良く稽古することが重要になっています。

間口を広げて、より奥妙に至る上では、避けて通れない道とは思いますが、そういう意味で、天心流の指導も年々さらに柔和となっています。

古流も様々でしょうが少なくとも天心流はそういう流儀です。
もしご見学、ご体験に際して、「体育会系で怖そう」と躊躇される方がいらっしゃるかもしれませんが、そのような事は一切御座いません。
また「何か非礼無礼無作法があっては…」と不安をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのような事は気にせずに、まずはお気軽にご連絡頂く事をお願い申しあげます。
一度のご見学、ご体験で執拗に勧誘し、絵画商法や展示会商法のような囲い込みで入門するまで帰さない…というような事も一切御座いませんし、高い武具、稽古着を売りつけるという事もありません。




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