
現在、第十一世師家の井手柳雪先生が天心流に入門したのは大学生の頃。
高校時代からの友人で後に同じく天心流に入門した旧友の言葉「いでっちよ、俺達も日本男児として古武術を修行しないとダメなんじゃないか!?」というのを真に受けたのがきっかけです。
修羅の門など愛読されていたため、お二人とも古武術に対して憧憬を抱いていました。
激しく同意した井手青年は、さっそく情報集めに奔走します。
時は2000年代初頭、今ほどにネットの情報はなく、あれこれと探した結果、唯一、月刊秘伝誌が年に二回特別付録として発行していた道場ガイドを見つけました。
現在はオンラインでの道場ガイドに移行していますが、当時は毎号の巻末に道場紹介コーナーがあったほか、夏冬の二回の特別付録として、全国様々な道場の紹介を小冊子にまとめていました。
その道場ガイドから様々な武術を検討する中で、家からも比較的近く、また不思議な存在感を示していた天心流を発見した井手青年はさっそくコンタクトを取りました。
電話に出られた天心先生から、是非来るようにと歓迎されて、さっそくお会いする日取りを決めました。
お会いする前日、アポイントの確認で再度天心先生に連絡をしたところ、話が通じません。
実は当時の天心流は公には弟子を取っていなかったのです。
天心先生の知人で他流の先生であった方と名字が一字違いで、酔っ払っていたことも手伝ってか(多分関係ないですが。基本的に天心先生は人の話をきちんと聞かず、いつも早とちりするので)、その知人の先生と井手青年を勘違いして居たのです。
演武会でご一緒するたびに、刀を教えてあげるから今度会おうとお誘いしていたため、てっきりついにその気になったんだ!と嬉しくなって舞い上がって承諾した次第。
いきなり「今は弟子を取っていない」と天心先生に言われ(後述)、「それなら道場ガイドに載せるな」と心の中でツッコミつつ、途方に暮れる井手青年に対して、「男に二言はないから」と天心先生は仰っしゃり、とりあえず明日の面会は実現することとなりました。
そんなわけで井手青年は単身天心先生のご自宅に乗り込むこととなります。
ご自宅は日本家屋などではなく、普通のマンションの一室で、室内は恐ろしい程に雑然としてします。
しかし当時は警戒心が強く、そこまで雄弁でも親しげでもなかった天心先生の無骨としたその姿に、井手青年は衝撃を受けました。
「これぞ本物の武道家だ!」というようなものだったようです。
はじめてお会いした武道・武術の道の人が天心先生というのは、なかなかにエキセントリックな体験だったかと思います。
武井先生や井手先生、また私がお会いした時もそうでしたが、当時の天心先生は流儀の秘密や先代の事を隠すということ、そして長きにわたって様々に否定・批判され続けた反動もあり、疑心暗鬼に陥っており、人とコミュニケーションを取りたいけど、警戒心マックスという状態でした。
現在では当時の鬱々とした負のオーラを纏うこともなく、とても変だけど気さくなお爺ちゃんという印象ですが、それはとても長い時間をかけて永久凍土の如く凍りついた心を溶かしたからです。
流儀の簡単、かついまいちよくわからない説明と、少し技など披露され圧巻された井手青年は是が非でもこれを学びたいと強く願いますが、天心先生からは今は弟子を取っていないから無理と言われました。
他を探しなさいと、後日、別の道場の見学に案内されました。
しかし天心先生と天心流の魅力にすっかり魅せられてしまっていた井手青年にとって、他の流儀に入るという選択はありえませんでした。
「色々見るといいよ」という天心先生の言いつけに従い、道場ガイドや僅かなネットの情報を頼りに、演武を見てみたり、一年かけて色々探しますが、やはり井手青年の「天心流だ」という確信は変わることがありませんでした。
ちなみに弟子を取っていないのに、道場ガイドに掲載していたのは、故あって弟子は取れないけど、流儀の名前や存在だけでも、何らかの形で示したい、残したいと天心先生が希望されたためでした。
そして一年後、再度天心先生に連絡し、「色々と一年掛けて探しましたが、私には天心流以外は考えられません」と自らの意志を伝えました。
苔の一念岩をも通す。
さすがにそれだけ時間をかけても、学びたいという意志をもった希望者をはねのけることが出来ずに、天心先生は、およそ数年ぶりに門人を入門させる事となったのです。
それ以前は、お子様や職場のご友人、気まぐれで縁をいただいた方を入門させることがありましたが、職場の方は技法というより試斬ばかりで、お子様がたにもそれほど技法を伝えることがされていませんでした。(そもそもきちんと稽古できる広い稽古環境がなかったのです)
数年前に入門した武井先生ともうお一人の方は、不定期的で稽古環境も不十分な中でしたが、気まぐれな天心先生の予定に極力日程を合わせて、稽古に励んでいました。しかしそういった環境の中で、弟子二人で流儀を保存するのはの困難であり、「もっと弟子を増やしてほしい」と再三再四天心先生に懇願しましたが、そのたびにピシャっと否定されていたそうです。
そのため井手青年が入門されると知った武井先生は大層驚いたそうで、一体何があったのかと訝しんだそうです。
当初は天心先生の生家で指導されていたのですが、その後マンションを購入されてからはそちらで指導されるようになり、井手青年が修業を開始したのはそのマンションになります。
武井先生などは生家で稽古をされていましたが、天心先生が居を移してからは、同じくマンションで稽古をされることとなりました。
生家を手放したわけではないのですが、天心先生にとって生家は苦い記憶が強く、あまり居心地の良い場所ではなかったようです。
そうして待望の天心流に入門を許されて、井手青年は熱心に稽古に励みました。

その後一年後程、天心先生は郵便局の仕事を定年まで勤め上げられ、またお子様方も無事に成人されたことから、門戸を開放して新規門人を受け入れるようになりました。
(井手青年を受け入れたことも多分に影響したと思います)
これもほうぼうに書いていますが、私が入門してしばらくして、酒を飲んでいる時に、天心先生が突然、「天心流は本当は人に教えてはいけない流儀なんだよ」と語りだしました。
どういうことかというと、天心先生が二十代でまだ先代がご存命の頃、弟子が公園でごろつき相手に木刀を使った喧嘩をして、警察沙汰になったと。そして三鷹警察署に呼ばれて天心流の指導を禁止されたそうです。
だから法律的に天心流を指導するのは違法なのだと。
いわゆる若者への訓戒としての行為でそういった法的拘束力?はありません。
(その後、実際に三鷹警察署に問い合わせをして確認しました)
しかし天心先生はそれを半世紀近く信じて、お子様と職場の友人に教えるのは公ではないから良いだろうと隠れるようにして教えていたのです。
そして演武は禁止されていないからいいだろうと。
そのため電話が来ても、弟子は取っていないと断り続けて来たのです。
(警察が電話で確認している可能性があると思って警戒しまくっていた)
ホームページを作るのを頑なに固辞していたのはそれが理由でした。
私が入門から一年がかりで説得して何とか作成しましたが、その直後に天心先生の告白がありました。
近所の居酒屋で聞かされ、天心先生に「そのような法的権力は警察にないですし、法的効果はありませんよ」とお伝えしたときの天心先生のお顔は未だに忘れられません。
拍子抜けと、驚愕と、信じられないという表情、今までの苦労(心労)はなんだったのかというのもあったでしょう。
後日、警察に電話をして確認をしたことをお伝えして、長年の呪縛から解放されたのは本当に何よりでした。
ちなみに後になって吐露しましたが、本当は弟子が喧嘩をしたのではなく、天心先生ご自身が喧嘩をしたそうです。
私が現代では喧嘩も決闘もダメだと再三再四諫言してきたので、その手の事績を言いにくかったのでしょう。
鍬海 政雲
第十一世師家 井手柳雪さんにインタビュー!|ツインズクリエイターズファイル
