天心流兵法は抜刀術、剣術を中心としながら、素槍術、薙刀術、鎖鎌術、柔(柔術)、他兵法を外物として備え、さらに宝蔵院流の十文字槍術を併伝としております。
中には江戸期以前の太刀(拵え)を用いた古式の技法(天心流の抜刀術の原型とされております)や、明治の廃刀令を受けて、それまでの技法を発展させ仕込刀に応用した「先蹤の杖」と称される技法も御座います。
「日本生活文化史6 日本的生活の完成」に次のような記載があります。
武士たちは、その本業たる武芸の方面でも、この時代に、かつての弓馬の道から武芸修得に転進した。
平和以前には弓と馬と鉄砲だけは分化していたが、刀・槍・柔・忍などは一括して兵法と呼ばれていた。
それが平和時代になって、殺しの研究よりは、平和の武技修練に変質したため、ここに殺しでない武技の勝敗争練法が考案され、そのルールが確立し、兵法の時代から、剣術・槍術・柔術・忍術・水軍術。遊泳術などのいわゆる武芸が成立した。
弓馬の道の伝統から、新しい武芸の伝統が創案されたのである。
(第十章 文化の伸長 「道」文化の成立より抜粋)
この「第十章 文化の伸長」は家元制度研究の大家である西山松之助先生が執筆担当された章であり、17世紀後半期以降における文化考察になります。
上記の通り、古来兵法とは豊かな技法群を内包したものでありました。
天心流兵法の誕生は寛永年間であり、その土台となった技法はそれ以前のものですから、まだまだ戦の時代の気風を色濃く残しております。
また寛永十四年から十五年には幕末以前における最後の本格的な内戦である島原の乱もありました。
寛永の頃は、大阪の陣(慶長十九年より慶長二十年)の記憶も色濃く、まだまだ戦国の気風を残す武士が居たと言われております。
徳川幕府は僅か三代、病気がちでありました家光公の御政道はまだまだ政情不安を内包したものであったのです。
天心流はそのような政治背景の中で、使命を帯びた武士の命のやり取りを学ぶ実学として誕生したのです。
そしてその種々の伝承は江戸期を通じて分化する事無く、今の世にまで伝わりました。
これは非常に幸運な事であると共に、その総てを後世に正しく伝承していくのは大変難しいことでもあります。
特定技法のみの指導
天心流の技法の何れかのみを修めたいというお問い合わせを時々頂きますが、大変申し訳ありませんが、特定の技法のみ指導を受けたいという方の入門を現在は受け付けておりません。
なぜかと申しますと、第一に天心流は、総てをもって天心流であり、適切な稽古手順を無視して外物の指南など行いましても、似て非なるものしか得られません。
これは先師代々の工夫で生まれた、上練するための必須手続きと言えます。
例えば外物であり併伝でもある十文字槍術です。
これは新陰流と縁の深い宝蔵院流の技法を流儀の十文字槍術として伝えたものであり、「宝蔵院陰派十文字槍術」と称しております。
広く知られるように、柳生家新陰流の祖である柳生石舟斎師と宝蔵院流槍術の流祖である宝蔵院覚禅房胤栄は交流がありました。
天心流に伝わる宝蔵院流は、この交流を経て、石舟斎師から柳生宗矩公を経て、天心流に外物として受け継がれたものであり、天心流の体系の中で独自の工夫がなされており、別名を冠しているものの、独立したものではありません。
天心流では初学としての素槍術を学び、また抜刀技法、剣術、柔など学び習熟した段階で授けられるのがこの十文字槍術になります。
天心流の修業を通じて十分に身体を練り、その戦術理論を身心で味わっていなければ、これに手を付けても意味がないのです。
他流を経年修業された方などであれば、手順、形を憶えるのはそう難しい事ではないかと思います。
ですが天心流の技法は、あくまでも天心流でこそ生きるものであり、都合よく着せ替えるようには出来ておりません。
これは天心流に限った事ではないでしょう。
私自身も天心流を学ぶ前に廿余年他流儀を修業しておりましたが、やはり天心流としての土台が確りと出来るまでは、似て非なるものでしかありませんでした。
現在でもまだまだ以前の動きを排して、如何に天心流としての動きを修めて発揮するかは課題です。
実はこれまでにそういった希望を受けて、指導を試みた事もあります。
そこで問題なったのは今挙げた理由だけではありませんでした。
第二の理由としましては、カリキュラムを分化して伝授するだけの余裕がないという事です。
単純に指導の手が足りません。
現時点では残念ながら専有の稽古場というものは御座いません。
限られた僅かな時間、公共の施設をお借りしまして指南している状況になります。
もしいずれ専有の稽古場を建てる等出来ましたら、カリキュラムを稽古時間ごとに分化して、 個別に指南する事も可能かもしれませんし、また多くの指導者が育れば、同じ時間帯にも別個に指南する事も可能になるかもしれません。
ですが現実的には専有の稽古場を用意出来る状況ではなく指導の手も足りません。
もしいずれ条件が整いましたら、そういった試みも可能になる時代も来るかもしれません。
まずは日々門人一同が明るく、楽しく、真剣な修業を通じて、天心流兵法の継承を目指して邁進して参ります。