鯉口の切り方について②

さて、よくわからない豆知識などで記事が終わってしまった前回に引き続き、「鯉口の切り方について②」です。
ちなみに前回の記事はこちらです。

鯉口の切り方について①

ここからようやく本題になります。

往時の武士は雪隠や湯浴みなど特別な場合を除いては、床に入るまで刀をその身から離しませんでした。
そのためちょっとした所作で誤って鞘から刀身が抜け落ちないように、鯉口は非常に硬くなっておりました。
鯉口については前回説明致しましたが、鞘口とも申します鞘の入り口部分の名称です。
意図せずに刀が抜け落ちる事を、「鞘走る」(さやばしる)と申します。

ちなみに鞘走りは転じて「出過ぎたことをする。さきばしる」という程の意味でも用いられるようになりました。

鞘走りは怪我の元ですし、また刀身を損なう危険性もあります。
また「殿中にて三寸抜いたら改易」とも言われます。
往時の武士にとっては、抜刀というのは非常に重みを持つ事でしたから、間違いが起こらないように、非常に注意しなければならない事だったのです。

抜刀、納刀を繰り返すと、その度に鞘の口は摩耗し、それだけ「鯉口が緩む」事になります。
ですから鞘の口に経木(きょうぎ)という木材をごく薄く削った板を米粒から作った糊(米糊)を用いて貼り付けて、鯉口をきつく調整します。
かといってあまりキツくしますと、鞘に割れが生じる事も御座いますので調整は中々難しいものがあります。

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稽古では頻繁に抜刀と納刀を繰り返しますので、どうしても鯉口が緩くなりがちです。
ですから以前の記事「提げ刀について」でもご紹介致しましたが、平時とは異なり、稽古、演武においては鍔を指で控えるように指導しております。

鯉口を切る

鯉口が固くなっておりますと、咄嗟に抜刀出来ません。
これでは瞬時の斬り合いで不覚をとってしまいます。
そのために素早い抜刀を行うため工夫されたのが「鯉口を切る」という予備動作なのです。

これは左手の指で鍔を押し出す事で、刀身を鯉口より一寸程度(=およそ3cm)抜き出す動作です。
予備動作と申しましても、刀に手を掛けてから抜き出すまでの一連の動作の中で行いますので、間は必要最小限に抑えられます。
また襲撃など予測される場合に予め鯉口を切り、抜刀の備えを行う場合もあります。

単純な所作ではありますが、生死を分ける重要な教えとして、各流大事としております。
鯉口の切り方には大きく三種類に分類されます。

外切り(そとぎり)

写真は「あらわ切り」とも呼ばれるもっともオーソドックスな方法です。
親指を鍔に掛けて鯉口を切ります。
傍目にもはっきり視える方法ですので、「外切り」、あるいは「あらわ切り」などと呼ばれております。

重要な事は、必ず親指をやや内側に置く事です。


※悪い例

真上に親指を置きますと、抜き出した刃の直上に親指が来てしまい、鞘走りなどした際には親指の腹を裂いてしまう危険性もあります。

内切り(うちぎり)

これは鍔の内側(裏側)から親指で押し出して、鯉口を切る方法です。
鍔裏(つばうら)にて行うために、対者に気取られにくい事から、「隠切り(かくしぎり)」とも呼ばれておりいます。
天心流では特に坐法で用いる事と伝えられております。

なお内切りには他に、親指を用いずに、鍔元ギリギリに持ち拳を握りこむ事で鯉口を切る別法も存在します。
これは鯉口が非常に固い場合には難しい方法です。

控切り(ひかえぎり)

これは外切りや内切りを用いた際に、人差し指を鍔に掛ける方法です。
不意に刀を引き抜かれたり、鯉口を切った拍子に鞘走るのを防ぐ等の意味があります。

瞬間で抜き付ける場合には必要ありませんが、抜合(ぬきあい)と称されるような、立合い勝負で抜刀術を用いる際には、鯉口を切っておきながらも、控切りとして人差し指で鍔を控えておく事で、変化に応ずる事が出来るものです。

また納刀時には、最初に納めた時には鍔元一寸を納めず残し、最後の最後で柄頭押しこむようにして鞘に納めますが、その間、左手は控切りとして用います。

ちーちーぱっぱ

このように、鯉口の切り方にも様々な教えがあります。
ことさらに本身を扱う際には注意が必要な所作となります。
また天心流の口伝としまして、鯉口を切った後の指の始末についても、厳しく教えられます。

写真のように、鯉口を切った時に、親指や人差し指など伸ばしておきますと、稽古などでは問題は起こりませんが、実戦の中では指を切ってしまう危険性が御座います。
鯉口を切った直後には指を折り曲げて鞘に添えていなければならないと、厳しく指導されます。

先代は指を処置せずそのままにしておく事(写真の如く)を「ちーちーぱっぱ」と称して厳しく諌めておられました。
(なぜちーちーぱっぱなのかは不明です)
中村師家も先代に指導を受け始めた直後それが直らず、「帰れ」と叱られたそうです。
先代は無口で朴訥とされた方だったそうですが、その方が十代半ばの少年を叱りつけたということには、これが生死を分ける重大事として代々伝わる教えだからです。

なぜかと申しますと、刀を抜き切らぬ内に敵が間合いを詰めてきた際など、慌てて刀を抜き損じた場合に、刃が鞘の中で暴れ、めくれるようにして指を切ってしまう場合があるのです。
また室内の稽古では忘れてしまいがちですが、実戦は主に野外で起こります。
強い風の日や、また突然の突風も起こるのが野外です。
吊り橋を渡るバイクや車がなどが横に流される事がありますが、風の力は決して侮れるものではありません。

細やかで重要性を感じない教えですが、実戦の現実ではそういった差が生死の分水嶺となります。
それを伝えるのが口伝です。
道場でのみ稽古しておりますと、このように一見しますと非合理的な、意味の無い教えというものが古流には多く御座います。
ですがその真の意味を探っていきますと、そこには往時の武士が生命を賭した経験則によって培われた合理的な教えである事がわかります。
もし今の段階で合理性が視えなくとも、独断でそれを不合理、非科学的などと断ずる事無く、それを正しく伝える事で、代々が継承して参りました宝物を失わずに済むのです。

これは現代人に限った事ではないと思いますが、人間は「今」がもっとも聡いもの、賢いものだという思い込みが御座います。
そして先人たちの苦労と苦心による偉大な智慧をないがしろにしてしまうのです。
古伝の武術を学ぶ吾々は、せめて古人を信じ、その偉大さに触れる事を忘れずに、子々孫々と伝承していきたいと思っております。

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