和して同ぜず

先日、悲しいニュースがあったため、Twitterで投稿したところ、多くの反響をいただきました。
十七条憲法の第一には次のようにもあります。


一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。是以、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。

(一に曰く、和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ。人皆党有り、また達れる者は少なし。或いは君父に順ず、乍隣里に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。)


有名な「和をもって貴しとなす」とはここから来ます。

しかしもちろん、実際問題どうにも困った人々はおります。
これはなにもあたら我慢すれば良いというものではありません。
この「以和爲貴」という言葉の由来とも考えられる論語(中国古典。四書五経の四書の一つに数えられる儒教の経書)には下記のようにあります。

 「禮之用和為貴」 

ですがこれは、いたずらにただ付和雷同にせよという意味ではありません。
互いに論じて物事の道理を通すには、まず和する気持ちがなければ、話し合いにならないという程の意味合いです。
同じ論語には次のようにも書かれています。

 「子曰。君子和而不同。小人同而不和」

いわゆる「和して同ぜず」という心持ちです。
付和雷同という言葉を思い出しますが、これも礼記の「勦説する毋れ、雷同する毋れ」に由来すると言われております。

つまり「自らの信念や考えを捨てて、我慢して、相手の考えや意見になびいて従う」ということを指しているわけではないということです。

しかし自分が正しいと思うのと同じように、相手も同じく自分こそが正しいと考えます。
そして難しいことに人は自説を覆すことを得意とはしていません。

 この著作には様々に興味深いデータが示されています。ひとつ例をあげます。

研究では「死刑賛成派」と「死刑反対派」の学生を計48人選び被験者とし、2つの研究データを示しました。
それは死刑の有効性を示したデータと、死刑の無効化を示したデータでした。
それはどちらも偽物だったそうです。
そして学生たちは、不利なデータは信頼に足らないと判断、自説に有利なデータのみを評価してより強固に信じたという結果に終わりました。

これはあくまでも一つの例ですが、認知は常に歪んでおり、正論は人を正すのに有効とは言い難いということが科学的に示されています。
そしてこれはインターネットという情報共有システムを獲得した今、強い実感を伴うものです。

つまり正攻法はむしろ逆効果の危険性すらあります。
事実はなぜ人の意見を変えられないのか」では、自分の信念、理念に相反する、いわゆる不都合な事実を目の当たりにすると、却って盲目的になるという心理的傾向も示唆されています。
これはブーメラン効果と呼ばれます。

時に無視し、時に懐柔し、日々の地道な論説で外堀を埋め、気づいた時には物事の見方を変えてくれるように働きかける。
これはもちろん正攻法も含めて状況に応じて選択するというのがまさしく兵法の真髄です。

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