護身の基本ーゼロヒャクを避けるー

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【鍬海 政雲】

ネット上でミサイルアラートの是非についての議論を見かけました。
確かに落下点の中心に居れば、高確率で死亡する事でしょう。
しかし爆心からある程度距離がある場合には、伏せる、カーテンを閉める、窓から離れる…などなど、様々な対策が出来ます。

アラートが不安を煽るというのは事実ですが、しかし不安を煽る「だけ」だというのは明らかに間違った認識です。
同時に、せっかくアラートがあっても、正しい判断を下すだけの事前情報を持っていなければ、対策する事は出来ません。
つまり事前に現実として起こり得る敵対国の驚異に対して、個人で取れる具体的な防御対策をセットで周知徹底し、そして実地の訓練を行わないと、いざという時に役立つというレベルにまで至らないともいえます。

これは護身術などにも同じ事が言えます。
生兵法は大怪我のもとなどと言う言葉があるように、ちょっと護身術をやったところで、役立つわけがなく、却って逆効果になるという意見はよく耳にします。
そして実際に逆効果になっている例もありますから、それは一面として事実です。
しかし同時にちょっとした備えが、命を守ったという例も枚挙にいとまがない事もまた事実です。

武術の技もそうですが、何かとゼロヒャクで効果測定を考えてしまいがちです。
白黒思考、二極思考、二分化思考などと呼ばれますが、この技は使える使えない…という判断も同様で、部分的、一定効果のみでも十分な意義があるという事をよく考える必要があります。

技も護身も、「こうすると絶対こうなる」という断定もまた同様で、そうした事がいわる「型に嵌まる」と呼ばれるものであり、古来より警告されているものです。
しかしすべてを包括して学ぶ事は出来ませんから、一時的に型に嵌めて学ぶ必要があります。
型にしっかりと嵌めて、条件付を十分に行った上で習得をした上で、型を外さないと、ただの型崩れのデタラメにしかなりません。

このあたりのバランスの難しさは、かなり難しいものがあります。
多くの場合、正しい稽古を行えず、技の真価を疑い、突き詰める稽古の楽しさを発見できないため、応用変化などを学ぶ楽しさに逃げてしまいます。
そういうレベルでは、「型は実戦では使えない」という勘違いを生む一因になります。
そもそも技も情況によりますが、特に対応するために用いる場合は、前提条件、想定するシチュエーション通りな事の方が少なく、そうなれば学んできたものを土台に自然に対応する以外にないにも関わらず、そこで型通り、文字通りに型に嵌めるように使おうとするので成功せず、結局「型は実戦では使えない」という勘違いを生みます。

前提が間違ったままに、是非を問うというのは実に意味のない話ですが、往々にしてそういう事が世の中には多く見られます。
というか大半がそうでしょう。

さて、護身についての話に戻りますが、もう一つ忘れてはいけない側面があります。
これは色々な所で説明していますが、一つは心理的な側面です。
「女性が護身術など少しかじったところで役に立つわけがない」という論は、事実も含みますが、しかし例え生兵法であっても、これが不安を和らげる効果を軽視すべきでは有りません。
特に男性は理不尽な力でやりこめられるという経験が女性に比較して少ないため、非力さから来る恐怖を深く理解出来ません。

「夜中に道を歩いていたら、前を歩いている女性とたまたま同じ道だった場合に、前を歩く女性が怖がって走り去った」というような体験談をよく耳にします。
男性側からすれば犯罪者と疑われて不愉快な話ではありますが、しかしそれ程に恐ろしいことだと理解しなければいけません。
防犯ブザーなどの防犯グッズも、実際の効果はともかく、不安を和らげるという意味での効果は決して軽視出来ません。

ただ、それが却って油断や慢心を生んでしまうのは危険な事であるのは言うまでもないことです。

 

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