【井手柳雪】 100回練習するということ

私は学生時代から中東に興味があり、中東を何度も訪問し、アラビア語も勉強して来た。
現在もアラビア語を習得するため、クウェート人の友達に毎週一回のオンラインレッスンをしてもらっている(便利な時代である)。
この前、天心流のPVで使うための、アラビア語での自己紹介文(スピーチ)を彼に作成してもらった。
外国語はなんでもそうだが、特にアラビア語は発音が難しいと言われていて、発音に自信がないので、彼にその文章を実際に読んだ録音を送ってもらったのだが、その時に彼は言った。

「良いスピーチをしたいなら、100回文章を読む練習をしなさい」

私は疑問に思った。
100回も文章を読む必要があるのだろうか?と。

習いたてならいざしらず、今の自分なら10回ほど繰り返せば十分発音の仕方はわかる。
内容を覚えるのもそう難しいことではない。
さらに言えば、そもそも撮影では原稿を読むことが出来るから、暗記する必要もない。

だからいくらなんでも大袈裟だと私は思った。

しかし、考えてみれば同じ一つの文章を100回読んだ経験がある人はそう居ないだろう。
声優や役者はあるのかもしれないが、声優や役者ではない私はもちろんそのような経験はないのである。

いや、天心流の広報や会社でのプレゼンなどを考えると、30回くらいはもしかするとあるかもしれない。
しかし30回と100回は大きな差である。
今まで経験したこともないのに、試しもせずに否定してしまうのは良くない。
そう考え直した。

誰もが様々な機会を、否定から始めるため失ってしまっている、と私は学んでいるからだ。
そうと決まれば実行である。
今回頼んだスピーチはたかが1、2分程度なので、100回繰り返すには多くても4時間あれば十分である。
だがやってみてまずわかったのは、4時間声を出し続けると声が枯れるという事実である。
そして、どうも上手く発声出来ない部分、つまづく部分がはっきりしてくる。
ゲシュタルト崩壊というわけではなく、イントネーションやアクセントでも不安が出て気になってくるし、文章と文章の間の取り方も日本語や英語とは違いユニークであるため、どうにもしっくりこないと気づく。
時間をかけて繰り返し練習することで、はじめて慣れが出て、慣れが余裕を生むことで、ようやく気づくことがたくさんある。
短いスピーチの中で自分自身が自分を誤魔化せなくなるには、それだけの練習量、練習時間が必要なのだ。
もちろん、惰性で回数を重ねたり時間をかけても、それは意味をもたない。
クウェート人の友達はこのようにも強調した。

「正しい発音で100回繰り返せ」と。

徹底的にチェックをしながら行わなければ、惰性で誤った発声を助長する結果にもなり、練習は無駄どころか逆効果になる。

もうお気づきだろう。
これは天心流の稽古でもまったく同じことが言えるのである。
徹底的に正しい手順で、同じ動作を徹底的に繰り返す。
徹底的に正しい手順を行うのは、高い集中力と神経質なチェックが重要となる。
そして同じ動作を徹底的に繰り返すには、回数と時間をかける必要がある。

いずれも忍耐を要するものであるが、これはどの分野においても通用する共通の概念なのだと私は感じる。

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